2010年3月21日

独立記念日 20th anniversary
















3月21日はナミビアの独立記念日です。

今年で独立20周年のとても若い国です。
私でさえ小学校5年生くらいなので、結構みんなが独立戦争のことなどを鮮明に覚えています。
平和にボケた私には非常に勉強になります。
私がビールを飲みながらブログを書いているこの瞬間にもどこかの国では戦争が行われています。



ナミビアは、19世紀半ば頃にイギリスがケープ植民地(オランダ東インド会社が設立した南アフリカの植民地)の往来の為に一部の地域の領有を開始し、その後19世紀後半にドイツがその他の地域を南西アフリカとして保護領化しました。

その後、第一次世界大戦中の1915年に南アフリカ連邦(現南アフリカ)が南西アフリカを占領。
戦後も国際連盟によって南アの委任統治領とされました。
そのまま第二次世界大戦まで南アの委任統治が行われ、国際連合の信託統治領決議も拒否し、二次大戦後も国際法的には違法な形で南アによる実行支配が続けられました。
また、南アフリカは本国と同様に、世界的に悪名高いアパルトヘイト(人種隔離政策)を行い、国際的な非難とともにナミビア本国における独立運動の高揚を招きました。

そして1966年、南西アフリカ人民機構(SWAPO)の武装蜂起によってナミビア独立戦争が始まりました。1975年にポルトガル領だったアンゴラが独立し、アンゴラ内戦が始まると、ナミビアはアンゴラに介入する南アの国防軍の拠点となりました。
1988年2月の戦いで、アンゴラ・キューバ・SWAPO連合軍が南アフリカ軍の攻勢を阻止し、南アはアンゴラからの撤退を表明しました。
このときの戦いの消耗により、南アはアメリカに提示された、ナミビア独立と、キューバ軍のアンゴラ撤退の交換条件を飲むに至り、ナミビアは独立を達成しました。




独立の時に多くの血が流れました。私のいる北部オウタピはアンゴラの国境に隣接していて、
独立戦争・アンゴラ内戦の時に勇敢に戦った人たちもたくさん居ます。


日本は「戦争放棄」という条文を憲法に持つ素晴らしい国です。
我々の祖父母世代が作り上げた「平和」の意味をもう一度じっくり考える必要があると思います。




Republic of Namibia              ナミビア共和国

Namibia, land of the brave,         ナミビア、勇者の土地、
Freedom’s fight we have won       自由の戦いに私たちは勝った、
Glory to their bravery,           彼らの勇敢に栄光を
Whose blood waters our freedom.    彼らの血は私たちの自由を潤す。
We give our love and loyalty       私たちは愛と忠誠を与える
Together in unity,              一緒に団結して、
Contrasting beautiful Namibia,      美しいナミビア、
Namibia our country.            私たちの国を対照させながら。
Beloved land of savannahs        サバンナの最愛の土地が
Hold high the banner of liberty.      自由の旗を高く掲げんことを。



Namibia our Country            ナミビア、私たちの国、
Namibia Motherland             ナミビア、母国
We love thee                 私たちは汝を愛する。



君が代


君が代は、千代に八千代に

さざれ石の巌となりて

こけのむすまで



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