2010年5月31日

教会
















教会に行ってきました。

日曜日の朝9時からなので、休日早起きです。昨日飲み過ぎたのでフラフラと教会へ向います。
知らなかったのですが、教会へ行く時は正装なんですね。同僚のピーターがビシッと決めてきていたのでびっくりしました。


カトリック系セカンダリスクールの中にある教会のようです。生徒達がガヤガヤと集まってきます。その中に伝統衣装を着たおばさんたちが混じっているのが少し不思議な感じです。さすが国教。

教会はいっぱいになり、賛美歌的なものが始まります。これは大誤算だったのですが、歌も、聖書の朗読もすべてオシワンボ(現地語)です。ほぼすべての内容を理解できないままに物事は進んでしまいました。


しかしその中にも、寄付のコーナーや、握手のコーナーなど、体感できるものもたくさんあったので、なんとなく満足です。教会に来る人はさすがに私にチンチョンチャンとかいう人はいません。愛を説くキリスト教を勉強してるだけあります。人種差別などもってのほかです。


余談ですが、アフリカ人(黒人)も人種差別します。アパルトヘイト、奴隷制度などであれだけ苦難の歴史を歩んできてる彼らがアジア人に対して差別をするのを見ると、結局人間は自分より下を見つけようとする愚かな一面を持っているのだなと少し悲しくなります。最近は、学歴や生まれでの差別もあるみたいです。あいつは学がないから駄目だとか、平気で人を見下します。差別は絶対に許せません。


数百人の中に一人だけ混じっているアジア人に対しても、みんな笑顔を向けてくれます。握手のコーナーとかは素晴らしいと思います。おじいさんや子供と笑顔で握手すると、不思議な幸福感に包まれます。大合唱の歌の中にいると、気持ちがスッキリしてきます。きっと今「God bless me」なのだと思います。


雲ひとつない空の下を歩いて、同僚や他の参拝者と談笑して帰りました。

魚を採る主婦たちや、牛にえさをやる牛飼いなど、なんかのどかです。
真夏に比べると、空が低くなってきて、また違ったアフリカを感じることが出来ます。


小さな小さな自分に気付かされます。

小さな自分を理解する事はとても大切な事だと思います。


















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2010年5月30日

授業を持つことになりました。

私がいなくなってもパソコンのトラブルシューティングが出来る人材を育てるのが目的です。
スタッフ全員参加する予定なのですが、ナミビアの傾向によると、おそらくだんだんと減っていくだろうと思います。
2,3人が残ってくれて最後まで授業できたらきっとそこそこのレベルまでは育ってくれるだろうと信じています。
授業はCompTIA A+のテキストで進めていく予定です。



羊を絞めました。

といっても絞めているのを見ただけなのですが、血に慣れていない私はドキドキします。
「ケイは肉を怖れているぞ」とからかわれたのですが、それが少し滑稽で笑ってしまいました。
これは人の業だと勝手に言い聞かせて、羊が肉に変わっていく様子をつぶさに見ていました。






同僚が異動しました。

日本のことをよく知ってるナミビア人だったので少しさみしいです。
私が来てからすでに2人の同僚が入れ替わった事になります。
いろんな別れがありますが、やっぱり別れは好きにはなれません。
彼の成功を祈ります。




日本から荷物が届きました。

紛失したと諦めていたので、相当驚きました。
お茶漬けのもとや塩昆布やカムデーなど、私にとっての鉄板勢ぞろいです。
ここまで外さないものなのかと感心しつつ、両親に感謝します。
無事に荷物が届きました。妹の荷物と比較して2ヶ月近い遅れはありましたが。。




そして冬が近づいてきています。

朝晩は結構冷えて、半袖では出歩けないほどです。最初のイメージとだいぶ違います。
最近元気が出ないのも季節の変わり目だからかもしれません。
日本でいえば秋な感じです。




ゆっくりと、でも確実な変化を感じます。

時間の流れが目に見えるような不思議な時期です。

2010年5月25日

要請内容

要請の確認をしました。

私の日本で聞いていた要請内容は、大まかに分けると、

1、マイクロソフトオフィスやコンピュータについてのスタッフ・生徒への指導
2、センター内のコンピュータの修理、メンテナンス・メンテナンス指導

です。

2については問題ないのですが、1については私にとってかなりの変更がありました。

指導は「スタッフ」のみで、生徒はあくまで補助的にということです。

私の要請内容外に関することには相当に厳しくて、外部者、生徒に対してPC修理やPCルームの開放をすると激しく怒られます。
保守的・排他的であることを最近強く感じます。もちろん内部者は居心地がいいでしょうが、私的にはもう少し開放したいです。

現在行っている事は

●スタッフへのメンテナンス指導、ワークショップ(A+テキスト使用)
●毎日のメンテナンス・トラブルシューティング
●PCインストラクターへの指導
●生徒への指導(補助的なもの、たまに授業)

です。

却下された事は、

●コンピュータルームの開放
●外部者のパソコンの修理
●出張パソコン修理
●HW・トラブルシューティングのクラス(生徒向け、例外あり)

です。

外部者・生徒に排他的なことに対して最初はかなりイライラしていたのですが、考えを変える事にしました。

なるべくコンピュータにみんなが触れる事ができるようにと画策していたのですが、それは失敗に終わりそうです。ルールだと言われると何も言えません。
それならば、生徒に近いインストラクターや、住民に近いスタッフに私の意見をガンガン出して、学んでもらって、それをアウトプットしてもらおうと。


もちろん途上国なので、理解しがたい事やヤキモキすることはたくさんあります。合理的な日本的な考え方は全く通用しません。
自分の知ってる型にはめようとしていた事がそもそもの間違いだったのかもしれません。

技術移転、日本紹介の他に、途上国の現状を報告するということが重要である理由が少しだけわかった気がします。


生活に慣れた気がしてますが、まだ半年です。 

少しずつ、自分が変化しているのを感じます。
















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2010年5月23日

インターネットバンキング

インターネットバンキングサービスが止まりました。

出入金すべてを管理している口座です。
パスワードの他に取引暗証番号なるものが必要だったのですが、思いあたる番号は6つ。トライ出来る回数は3回。見事に外しました。

私の利用している銀行、パスワード・番号、多すぎ。4つは多すぎだ。会員番号入れて確認番号入れてパスワード入れて、やっとログインしたら、最後に取引暗証番号。しかもその暗証番号に縛りがありました。これが敗因。私はそんなに暗号を持っていない。もちろん口座番号とか登録番号は別にあります。アカウント名の変更も出来ないし。

仕方なく調べていると、サービスロックの解除が必要との事。しかし、解除デスクへのフリーダイヤルが繋がりません。うーん。紙の申込書が必要で、それを郵送してくれると書いてあります。ナミビアまでしてくれるのだろうか。。

日本ではネット銀行を主に使ってたので、地銀の方は入金する程度。振込みとかはやってませんでした。手数料高いし。まさか振り込み時に普段使わない縛りつきの暗証番号が出てくるとは。文字数制限ってどういうことだ。逆だろ。


と、少し愚痴ってみました。

要は暗証番号を忘れないようにしましょうということです。

メールで解決することを望みます。
やっぱり海外にいると、たまに不自由です。

2010年5月21日

首都へ














ウィントフック(首都)へ行ってきました。

今回の目的は、教師分科会とA・B型肝炎のワクチン接種です。
バスの移動は相変わらず疲れるのですが、今回は8時間で首都に到着し、少し満足です。いつもは待ち時間を合わせると11時間はかかります。

約一週間の旅は思っていた以上に疲れてしまい、家でホッとできるこの瞬間にとても感謝しています。人も優しくて気疲れしないオウタピという町を、自分が思っている以上に気に入っているようです。


とても有意義な首都滞在だったと思います。

分科会は、今までの教師隊員がどんな事をやってどんな成果を上げたのかを報告しあったり、我々新人がぶつかっている問題のアドバイスをもらったりと今後の活動に直結するアイデアや意見を聞くことが出来ました。
限られた時間と限られた場所で出来る限りの成果を残すために努力する必要があります。頑張りすぎると空回りする事がよくあるようなので、冷静な意見を聞ける分科会のような機会は素晴らしいと思います。

肝炎のワクチンも受けました。これでA・B型肝炎も恐くありません。破傷風、A・B型肝炎、狂犬病、黄熱病、インフルエンザ。ナミビア隊員が受けたワクチンです。早くHIVやエボラのワクチンも作ってくれる事を願います。

サッカーキャラバン(交流会)にも参加しました。身体を作っていったつもりが、逆に動けませんでした。サッカーなのに上半身を鍛えたのが今回のミスです。















食事は毎日の最高の楽しみでした。中華料理が3日続くというハプニングはありましたが、それでも毎日美味しい時間を過ごしました。毎日の食事を選ぶ事が出来るということは最高の贅沢です。日本では当たり前だった事が当たり前ではないと気付かせてくれる最大の要因です。
そういえば、カレーを大量に購入しました。(日本の)カレーは20世紀最大の発明だと思います。


日本人同士で生活した一週間でしたが、人疲れしてしまいました。
アフリカ人とのトラブルと日本人とのトラブルは種類が違います。どっちにしろトラブルは好きではありません。オウタピでは一人で気ままに過ごせそうです。

踊りを踊る事になりました。よさこいとエグザイルの曲です。日本紹介の一環として踊るのですが、私的な理由は、下半身強化です。これは内緒です。日本紹介も大賛成なので一石二鳥です。


帰路は、オウタピまで帰ることが出来なくて、北部の隊員の家にお邪魔しました。
ギターとウクレレで遊びながら酔い酔いで歌ってました。お酒と音楽は世界を救うと思います。


空は、北部の方が首都よりきれいです。

空が広いと、少し落ち着きます。
















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2010年5月10日

母の日

今日は母の日です。

私、毎月初めになるとその月の日記やブログを読み返して、懐かしんだり、反省したりしています。
そんな中で毎年必ず出てくる「母の日筋肉日記」。毎年一生懸命プレゼントを選んだりカーネーション買ったりしてるみたいです。
素直に感謝の気持ちを伝える事ができる母の日は素晴らしい日だと思います。

今年は私はアフリカなので、アマゾンで母の日ギフトを探します。
カーネーションは必ず贈るので、その他に何をあげようかと考えていると、ロールケーキセットというのを発見。最近疲れているみたいだし、甘いものでも食べて元気になってもらおうとこれに決定です。


そして今日の午後、母に電話しました。正直照れくさくはあるのですが、こんな時にしか感謝の気持ちも伝えられないので、ありがとう的なニュアンスで会話します。
仕事の愚痴を聞いたり、アドバイスを求められたりしながら、昔は愚痴を言ったりアドバイスを求めるだけだったなと、青臭かった自分を反省します。


アフリカに行ったり中国に行ったりする息子と、イギリスに行ったりスペインに行ったりする娘。

わがままな子供達に自由に道を選ばせてくれる両親に感謝します。
何処に行っても両親に守られている感覚を私たち兄妹はいつも持っています。


母からのメールに、

「最近はあなたに心配をかけてばかりですね。心配かけさせないようにとはいつも心で思っています。」

と書いてありました。

それは私のセリフです。

生まれて31年間心配かけさせっぱなしですが、心配をかけさせないようにとはいつも心で思っています。
言葉にはなかなか出来ないですが、いつも心の中で感謝しています。
生んでくれて、育ててくれて、ありがとうございます。


きっと誰もが、親の前ではいつまでも子供なんだろうと思います。

これから先も母親の笑顔を守ることが出来るように頑張っていこうと思います。

2010年5月7日

初めての訪問者 - Welcome to Outapi -


同期がオウタピ(Outapi)に遊びに来ました。


現在ナミビアの学校は学期間のお休み中です。先生隊員の人たちは有意義にお休みを過ごします。私も同期が会いに来るので案内したいとセンター長にお願いしたら、快くお休みを頂きました。

一日ずれ込んでの訪問だったので心配していたのですが、うまくスケジュールを組む事が出来ました。まずは同期を私の勤務先に紹介。連れてくる事は事前に伝えてあったので、みんな友好的に楽しく会話できました。私もとてもうれしい顔をしていたそうです。友達が来るとやっぱり楽しいです。

その後は、オープンマーケット・食堂で軽くランチを済ませて、オウタピ名物バオバブの木へ向います。




















相変わらずのでっかいバオバブに同期も満足気です。入場料一人20ナミビアドル。私は在住のため無料(交渉)。何もないオウタピですが、来た時には是非訪れてください。少し感動します。

初めて来た時には理解できなかったバオバブに纏わるオウタピの歴史について改めてご紹介します。



オウタピはオバンボランドというオバンボ族の町で、そのオバンボ族も細かく分けるとたくさんの部族が存在します。この町周辺には大体7種類くらい。
遠い昔、その中の3つの部族が牛を巡って争いを始めました。オウタピとは現地語で「神聖な町、パワーの集まる町」という意味があり、牛はたくさんいるし、土壌も他の土地より肥えていたようです。
オウタピを独占する1つの部族に嫉妬した他の部族が、牛や土地を欲しがったのです。その町(オウタピ)を象徴するものがこのバオバブの木だったようです。樹齢八千年といわれています。


独立戦争時には軍のベースとして使われたり、女性・子供達の非難場所として使われたり、また植民地時代には捕虜・奴隷の収容場所として使われたりもしたそうです。
それ以前はこの土地最初の郵便局としても実際に使われていて、常に誰かが何かが集まる場所になっていたようです。

独立後は、教会のような感じになっていて、歴史的なモニュメントとして扱われています。















夜は、いつもの宴会でお酒を飲んで楽しく会話しました。みんなそれぞれ大変だけど、弱音を吐かずに頑張っています。私も頑張ろう。

そんなこんなであっという間に時間は過ぎて、さきほど同期を送り出したところです。

数日間楽しい時間をありがとう。すっかりストレスもなくなってしましました。


今度は私が遊びに行きますね。

いつもと違ったオウタピを感じた数日間でした。

2010年5月3日

3ヶ月
















任地オウタピに来てちょうど3ヶ月が経ちました。


生活にもすっかり慣れ、不自由するのは手洗いの洗濯くらいです。
日本からの船便も到着し(4ヶ月かかった)、アマゾンからも数冊本を購入したので、選べるくらいには本の在庫もあります。ギターもあるし、お湯も出ます。電気や水道もほとんど止まりません。

トカゲと蜘蛛は部屋の何処かしこにたくさんいて、一度だけゴキブリが顔の上を這いました。その夜眠れなかったので、強力殺虫剤を買いました。


勤務先では、意外とパソコンのメンテナンスをする機会が多いです。図書館にいろんな人が来て、それぞれに勝手なことをしてウイルスを置いて帰ります。週に一度は動かなくなっています。

Mr.Kの質問コーナー的な授業が勝手に出来て、生徒の無茶な質問に答えています。これは結構楽しくて、生徒も頼ってくれるようになってきました。PC教師に、教えている様子を見せることが出来るので、見て覚えてくれたら幸いです。

PC教師以外にコンピュータを学びたいというスタッフが出てきました。物を修理したりするのが好きみたいなので、一つ一つ教えていこうと思います。得た知識は、還元してほしいと私の希望を伝えています。


おぼろげながらに活動の形が見えてきました。人間一人が出来る事の少なさ、小ささを痛感しています。その中で出来る最大限のことを見つけていこうと思っています。

今自分が出会っている人たちは、出会うべくして出会っていると何かの本で読みました。きっと現地で出会った全ての人たちも、私にとって意味があって、何かを教えてくれているのだろうと思います。


愚痴を聞いてくれる同僚が出来ました。

彼はボランティアをボランティアしています。

2010年5月1日

ブルーハーツ

落ち込んだ時とか悩んだ時にブルーハーツをよく聞きます。

大人になってもピュアでありたい、いつも少年のように強くありたいという自分の願いでもある気がします。

そんな中で、ベストに入ってない、私のお勧めの大好きな曲を紹介します。


「夕暮れ」

きっと聴く人によって全く感じ方の変わる不思議な曲だと思います。学生の時に聞いても今聞いても違った意味で何かを教えてくれる気がします。


「ナビゲーター」

何かが語りかけてくるような、魅力的な曲です。題名の通り、これも気持ちやタイミングで感じ方が全く変る曲だと思います。


「あの娘にタッチ」

これは恋愛の曲です。これはなんということはないのですが、妙に好きです。


「TOO MUCH PAIN」

葛藤を描いた歌のような気がします。先に進めないもどかしさを感じました。


このまま全曲紹介してしまいそうなのでやめときます。


ちなみに私の一番好きな曲は、

「終わらない歌」

です。