2011年3月31日

数学オリンピック















数学コンテストがありました。


名前は「Omusati Mathematics Olympia(オムサティ数学オリンピック)」。
どうやらオムサティ州の各学校から選抜された頭脳派の数学自慢たちが集い、数学力を競う大会のようです。
久しぶりにセンターに人が溢れかえります。

私が普段接しているナミビア人は、基本的に数学が全く苦手で、二桁の計算を暗算すると、スーパーマンのような扱いを受けます。
エクセルの指導中にも、パソコン云々ではなく数学(算数)の講義のようになってしまいます。

しかしこの大会の子供たちは目の色が違います。
おそらく各学校の看板を背負ったエリート達なのでしょう。いつもはカメラを向ければ群がってくるのですが、今日は見向きもせず数学の問題に真剣に取り組んでいます。
問題を覗き込んでみると、なかなか難しそうです。さすが数学オリンピックといったところでしょうか。

その真剣に問題に取り組む子供の姿が新鮮で、ついしばらく見入ってしまいました。

こんな時にいつも、教師隊員(小学校や中学校などに派遣されているボランティア)を羨ましく思います。
15歳前後の子供たちに囲まれて仕事をするのは、つらい事も多いだろうけど、やりがいも楽しいことも多いだろうと想像します。


ちなみに、私も最初は専門学校の教師をやるのだと思っていました。

要請書には、能力開発目的で訓練生へのマイクロソフトのワード・エクセル、コンピュータの基礎知識の指導、とありました。
ふたを開ければ小中学校をドロップアウトしてきた子供たち(16~25くらい)への職業訓練や自己啓発だったのですが。
まあ何だかんだでそういう、勉強は苦手だけど、という子達ととりとめのない話をしたり、遊んだり、色んな事を指導する事が最近ではすっかり楽しみになってしまいました。


それはさて置き、そんな感じで付き添いの先生達に話を聞きながら、のんびりと数学オリンピックを楽しみました。


一生懸命が伝わってくると、なぜかうれしくなってしまいます。

















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2011年3月30日

認めるということ

ここ数日腑に落ちない事が続きました。

ついイライラしてしまい、自分を正当化するセリフばかりが出てきます。

少しだけ立ち止まって、ゆっくりしてみる事にしました。

私がこれだけ納得できないのであれば、接した相手もおそらく納得してないと思います。
私が自分を持っているつもりであるように、その相手や、他の誰もが確たる自分を持っていると思います。
自分を正当化するのではなく、相手を認めること。そこが始まりなのかなと改めて考えます。

相手の立場になって考える。私がいつも出来ないことのひとつです。
独りよがりではなく、馴れ合いではなく、きちんとした目で人を見ることでが出来れば素晴らしいと思います。


優しい事と強くなること。

難しいなと感じます。

2011年3月28日

センター長異動















センター長がいなくなりました。


ボランティア報告会を終え日常に戻るも、なんかスタッフみんなソワソワしています。

「ハイドゥワがエナナに行くんだ。」

まあ、驚きました。

突然異動が決まった事も、異動が決まってその週にいなくなることも、そして6年も働いたのに誰も別れを惜しまない事にも。

送別会も開かれたのですが、これがまあ、なんと淡白な。
本人も、全然別れを惜しんでいる感じでもなく、さっさと会から離れ、さっさと職場を後にして行きました。
相当にこのセンターに対して思い入れがなかったことと、職員たちもセンター長に対して信頼がなかったのだなと改めて感じました。

私としては、まず私をオウタピへボランティアとして呼んでくれたことと、来た当初にむちゃくちゃぶつかったということがあったので、不思議な感じではありますが、妙な淋しさはありました。

ナミビアで働き出したモチベーションたっぷりのあのタイミングで、悉くすべてを切り捨てられたあの経験は、私にとってすごく意味があったのだと思います。


最近はセンター長のわがままはほっといて、スタッフの声、利用者の声を聞くように努めてました。しかし、こんなにもセンター長問題の根が深かったとは。
外国人である私に対しても愚痴や苦情が殺到していたのにも、納得です。


北部にもたくさん隊員がいた20年度4次隊も帰りました。
何かと大変だったセンター長もいなくなりました。
私にとっての次のステップが来ているのだということを、こんなに分かりやすく感じ取ったのは久しぶりかもしれません。


まだナミビアで9ヶ月間も活動する事ができます。

自分が、そして自分達が思い描いている事を形にできる時期が近づいている気がします。


自分が出来る事を、確実にやっていこうと思います。
 
 


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2011年3月24日

ありがとう

外務省ホームページより


ナミビア共和国からの義捐金の寄付

1.今般の東北地方太平洋沖地震を受け,ナミビア政府から義捐金100万米ドル(約8000万円)の寄付の申し出がありました。また,同国のヒフィケプニェ・ポハンバ大統領(H. E. Mr. Hifikepunye Pohamba, President of the Republic of Namibia)より菅直人総理大臣に対し,お見舞いの書簡も頂きました。


2.我が国政府は,ナミビア政府及び国民の我が国への支援に深く感謝します。


http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/23/3/0323_06.html
 
 
 
私は今、発展途上国といわれるこの国でボランティアとして活動しています。
 
本当に、ありがとうございます。

2011年3月20日

20-4送別会















20-4の送別会に行ってきました。


今回から活動報告会が正式に行なわれる事になったので、ほとんどのボランティアが首都に集合しました。
ナミビア20年度4次隊のメンバーは、人数も多く職種もキャラもバラエティに富んでいて、みんな集合するとなかなか圧巻です。
みんな活動を終えた自信に溢れていて、遠めで眺めていると心がほっこりとしてきます。

報告会は、とても有意義なものになりました。
それぞれがたった15分間という限られた時間の中で、それぞれに工夫して楽しく真剣に活動報告をしてくれました。
順調に進んだ活動、なかなか大変だった活動、国家レベルのプロジェクトから地域に根ざしたあたたかい活動まで、改めてボランティアの幅の広さと、奥の深さを学んだ気がします。
日本と違い、文化、人種、宗教、システム、すべてが違う国のようなナミビアです。
悩みの質も多様で、自分が感じたこと、これから感じるであろうことを考えさせられました。

その夜は送別会です。

初の報告会でメンバーが多い事と、何かと縁があった20-4へということで気合を入れて企画をさせてもらいました。
私の隊次のミスターオプヲを中心に、それぞれが自分が出来る楽しいことを色々と考えます。写真入り色紙の作成、思い出ムービー、思い出ダンスの披露、そして思い出曲の演奏。
楽しかった思い出を振り返りながらの作業や練習で、全く大変さを感じずに準備を楽しむ事ができました。

そして、乾杯。
ミスターオプヲ、カティマのクリリン、私でサプライズドンペリを準備し、特別な日に特別なお酒を楽しんでもらいます。素敵な夜の始まりです。
事務所スタッフさんのお宅をお借りして、料理などもたくさん準備してもらい他にもたくさんのご迷惑をおかけしました。快く引き受けていただいてありがとうございました。楽しい送別会を送ることが出来ました。

酔いが回ってきたところで、まずはダンスの始まりです。
最初は恥ずかしがっていた帰国隊員さんも、我慢しきれなくなってやはり飛び入り参加してきました。
参加してきた二人に誘われて始めたダンスだったので、実は内心うれしかったです。

次は、ムービー。
震災に関するムービーで、まずはナミビアから自分の出来る事をやっていこうという、日本人としての意識を共有します。
今回の帰国の隊員は日本が一番大変な時期に帰る特別な隊次で、きっとそこにも意味があるのだろうと思います。
そして、個人のムービーと、全体ムービー。ナミビアを凝縮させた映像をきっと楽しんでもらえたと思います。

そのまま色紙のプレゼント。
みんなからのメッセージと写真入の素敵なプレゼントになったと思います。
私ももちろんメッセージを考えてきたのですが、サイズを間違え入りきれず無念の時間切れ。
20-4のみんなには淡白なメッセージになってしまいましたが、私の心とパソコンのメモ帳に長々と私のメッセージが入ってます。溢れんばかりの気持ちは私の心に仕舞っておこうと思います。

最後に、思い出演奏会。
北部のメンバーで20-4思い出の曲を演奏し、一緒に歌います。
3月9日、若い力のうた、ナミビア国歌。
楽しく弾いて、楽しく歌ってとても幸せでした。

この続きの夜も、その日以降の夜も、帰国直前まですごく楽しく過ごす事ができました。



毎回そうなのですが、先輩ボランティアからたくさんの事を学びます。
自分の忘れていた事を思い出させてくれ、そしてたくさんの新しいことを学ばせてくれたこの素晴らしい出会いに感謝します。
これから9ヶ月間、また自分も成長していけると思います。


ナミビアで別れの機会が増えました。

忘れられない景色も、またひとつ増えました。




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2011年3月14日

不屈の日本

毎日新聞
東日本大震災を受け、米紙ウォールストリート・ジャーナル(電子版)は12日、「不屈の日本」と題する社説を掲載した。社説は地震大国日本の技術力と「備え」をたたえ、「日本は経済が低迷し、政治家の失態に国民の大部分は当惑しているが間違ってはいけない。日本の産業力は依然として偉大だ」と述べた。


以下転載です。

この国の人々の民度の高さは尋常じゃない

中国のマイクロブログで話題となったのは、日本滞在中のある中国人のつぶやき。「数百人が広場に避難していたが、その間、誰もタバコを吸うものはいなかった。毛布やお湯、ビスケットが与えられ、男性は女性を助けている。3時間後、人々は解散したが、地面にはゴミ一つ落ちていなかった。一つものだ」という内容


そして、その凄さは世界のいろいろな国に伝わっています。以下抜粋

政治・経済のニュースをみると、すっかり存在感がなくなっている日本ですが、多くの国から寄せられる日本への思いは、暖かく優しい。


国連総長「日本は世界で助けを必要としている人たちに対する最大の支援国の一つ。この極めて困難な時に、国連は日本国民と共にある。われわれは(日本のために)全力を尽くすだろう」 


CNN「有史以来最悪の地震が、世界で一番準備され訓練された国を襲った。犠牲は出たが他の国ではこんな正しい行動はとれないだろう。日本人は文化的に感情を抑制する力に優れている。」というコメントからも、客観的に見てもその民度の高さは、驚きと尊敬の目で見られていたことがわかります。


オバマ大統領「私は日本には特別な思い入れがある。ハワイで日本人や日本の文化に触れてきた。今回の地震は胸が押し潰される思いだ。でも私は楽観的だ。あれだけの経済や技術を築き上げてきた日本人だ。必ずこの困難を克服するだろう。そのための支援をわれわれは惜しまない


米ニューヨーク・タイムズ(電子版)は11日、「日本への同情、そして称賛」と題するコラムを掲載。阪神大震災時に東京支局長だったニコラス・クリストフ氏が執筆し、「きょう、私たちの気持ちは皆、日本の人々とともにある」とエールを送った。

 
中国主要紙は、「破壊度は(2008年の)四川大地震の20倍」と報道。日本批判の書き込みが多い中国のインターネットには「四川大地震のときに日本は支援してくれた。今回は中国の番だ」「がんばれ日本人」などと励ましのコメントが多く寄せられた。日本の災害を喜ぶ書き込みもあるが、「中国人の恥だ」と批判が殺到している。

 
1999年の台湾中部大地震の救済・復旧を指揮した李登輝元総統も11日夜、インターネットを通じ「台湾で起きた大地震を思い出し、現在の日本の皆さまの不安や焦り、悲しみなどを思い、刃物で切り裂かれるような心の痛みを感じています」「自信、勇気を奮い起こしてください!」と激励ジを発表した


CNNの専門家の言葉

「日本の国民はミラクルだ。被害は確定しないが、
他国だったら数倍の被害になっていただろう。
ハイチの500倍以上の威力の地震で津波到達まで5分しか時間ない中で、
信じられない対応だ。

この国民には常に準備がある。この国は常に事態に準備ができるのだ」

物が散乱しているスーパーで、落ちているものを律儀に拾い、
そして列に黙って並んでお金を払って買い物をする。
運転再開した電車で混んでるのに妊婦に席を譲るお年寄り。

深夜の東京駅で目にしたのは、
未曾有の天災に襲われながらも整列してタクシーやバスを待ち、
粛々と家を目指して歩き、或いはじっと耐えて外で夜を明かす人々の姿
この光景を見て外国人は絶句したようだ


この国民性、成熟度の高さ文化的な力は、どの国も勝つことはできない


短文投稿サイト「ツイッター」の中国版「微博」では、ビルの中で足止めされ た通勤客が階段で、通行の妨げにならないよう両脇に座り、中央に通路を確保し ている写真が11日夜、投稿された。「(こうしたマナーの良さは)教育の結果。 (日中の順位が逆転した)国内総生産(GDP)の規模だけで得られるものでは ない」との説明が付いた。


 この「つぶやき」は7万回以上も転載。「中国は50年後でも実現できない」 「とても感動的」「われわれも学ぶべきだ」との反響の声があふれた。


湖南省から東京に留学し、日本語学習中に地震に遭った中国紙、瀟湘晨報の中 国人記者は、日本語教師が学生を避難誘導、「教師は最後に電源を切って退避し た」と落ち着いた対応を称賛。ネット上に掲載された記事には「日本人のマナー は世界一」「人類で最高の先進性が日本にある」などの書き込みが相次いだ。


「日本の学校は避難所だが、中国の学校は地獄だ」といった中国政府や中国人 の対応を批判する書き込みも。2008年5月の四川大地震では、耐震性の低い 校舎が多数倒壊、5千人を超える子どもが死亡。生徒を置き去りにし、真っ先に 逃げた教師が批判された


過去にも1994年に広島で開催されたアジア大会の閉会式では、6万人が立ち去った競技場の観客席に「ごみひとつ」残されていなかったことを、各国の新聞が「恐るべし、日本民族」などの見出しで紹介した。また同論説によると、1995年の阪神淡路大地震では、地元の小さな金融機関が、被災者のために無利子、無担保、「本人が連絡先を記入するだけでよい」との方式で、当面の生活資金を貸し出したが、3年後にすべて返済されたという「恐るべき事件」が発生した。




この未曾有の非常事態に動じず、モラルを守り、じっとその時が来るのを待ち、そして間違えない日本人に対して深い感動を覚えます。こういう日本人の静かな強さは世界に誇れる財産だと思います。



日本人は、負けません。

日本人は静かに立ち上がります。

日本人である事を誇りに思います。

2011年3月13日

出来ること

募金情報のまとめサイトです。

http://sites.google.com/site/quake20110311jp/bokin


理由は何でもいいと思います。
どこから来たお金でもいいと思います。
偽善でもいいと思います。
自己満足でもいいと思います。

気まぐれの30円で、不安と寒さで怯えている被災者に一食のぬくもりを与える事ができます。

一つひとつは小さくても、みんなが目を向ければ大きなものになるのだと思います。

2011年3月12日

東北地方太平洋沖地震

東北地方太平洋沖地震

2011年3月11日14時46分頃発生

三陸沖を震源に国内観測史上最大のM8.8

津波・火災等の大規模な2次災害

M5~6の余震と、それとは別のM5~6の地震多発

全国全予報区で大津波警報を発表

3月12日時点で死者行方不明者1500人超

福島原発での放射能災害の恐れ、原子力緊急事態を宣言

東北地方沿岸部は家屋の壊滅的被害

東北地方全域で停電、100万戸の断水被害

高速道路通行止め、新幹線・在来線ともに運転見合わせ

多くの集落・住宅が全壊・流失、漁船の転覆や流失が相次ぐ

被害が甚大で詳細は把握されていない




日本政府の迅速な対応を期待します。

世界各国のあたたかい援助を期待します。

国連の適切な対応を期待します。

日本国民のモラルのある対応を期待します。

世界の人々のあたたかい支援を期待します。



この災害での被害が最小限で抑えられることを願います。

被災者の方で不幸にも命を落とされてしまった方へ、ご冥福をお祈りします。

2011年3月11日

久しぶりのケンカ

久しぶりにマリアとケンカしました。


マリアは私のカウンターパートにあたるPCインストラクターです。
先日インドのIT研修から帰ってきて、見事にスキルアップを果たしました。

しかしスキルアップはあくまでも学術的な部分のみ。
先日リペアを一緒にやろうと言ったら、


「そんなことはしたくないし、するつもりはない」


と言われてしまいました。



そんなマリアなのですが、新しいことを覚えて生徒に教えたがりマンマンです。
私のハードウェアの授業中にも割り込んできてなかなか大変な感じです。それはまあ、嬉しいのですが。



そして今日。
こないだ覚えたばかりのネットワークの事を指導しようと意気揚々と私の元へやってきます。


マリア「LANケーブルを貸してくれ」

ダグラス「いいけど、無線は壊すなよ」


そして、案の定無線が使えなくなります。


ダ「こないだ説明しただろ。センターのネットワークに関しては。」

マ「あの部屋のインターネットは動いている。私のせいではない」

ダ「ルーター触っただろ?無線でインターネットが使えなくなってるぞ」

マ「無線は来てる、ほら」(インターネット使えない)

ダ「もう一回説明するから、こっちに来てくれ」

マ「そんなものは持っていけ。私はこのデスクトップを使う」


この無線のアクセスポイントは、センター一般利用者のためにこの前設置したものです。



ダ「インターネットはお前だけのものではない。わがまま言うな。」


マ「・・・」



実際はもっと激しい口論なのですが、大体こんな感じです。
IPだのなんだのかっこいいことは言うのですが、センターのネットワークの構造は知ろうともしません。
正論を叩きつけられすっかりふてくされたマリアに対して、最後には、


「このケーブル抜いただろ?多分これが原因だよ。ケーブルの調子も悪いしね、マリアのせいじゃないよ。」

なぜかなだめたり慰めたりしています。。

あーもう。というか、いよいよ覚えてくれよ。。



ナミビア人でも日本人でも、人との付き合い方は難しいです。

英語の場合どうしても直接的な表現になってしまうので、余計注意が必要のようです。


今地震のニュースが入りました。

日本の皆さんの無事を祈っています。



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2011年3月9日

期待すること
















最近スタッフへの個別指導(MSオフィス)が順調です。


仲間はずれの嫌いなナミビア人。別にやりたくなくても指導を希望してきます。
最初はひやかしや遊びに来ていたスタッフもいましたが、本当に学びたいスタッフの姿勢を見て邪魔しに来なくなりました。
今までの失敗を活かし、指導はあくまでマンツーマン。
モチベーションの高いスタッフはあっという間にそこそこのレベルに上っていきます。
週に1回くらい同時刻に大勢現れて説明が大変なときはありますが、一人ひとり説明を繰り返しているうちにだいぶ慣れてきました。
やる気のあるスタッフが遅れているスタッフを教えたりと、なかなかいい雰囲気で進んでいます。


正規の職員ももちろんなのですが、私が特に期待しているのは、クリーナーたち。
青年センターのクリーナーたちは、正規のスタッフ以上に青少年たちと接する機会があります。


彼らが率先して学ぶ姿勢を子供たちに見せてほしい。
彼らに、自信を持って青少年たちに接してほしい。

日本以上の学歴社会のこのナミビアで、卑屈にならずに子供たちのお手本になるような仕事をしてほしい。
そういう姿を見て、学校をドロップアウトしてきた子供たちの学ぶ事へのモチベーションを上げてほしい。

私ができることは、そのお手伝いをすることまでです。
どんなに粋がったところで、私はこの国で一生暮らすわけではありません。


自分がやりたい事とやるべき事は違うと思っています。
今一番見たいのは、自分の与えた小さな種が私が帰国する前に小さな芽を出す事です。


この国に来て、不安になることはたくさんあります。

この国に来て、ついた自信もたくさんあります。





















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2011年3月6日

オールアウト

最近オールアウトしていません。


オールアウトとは、筋肉を完全燃焼させる事で、限界まで追い込み、文字通りヘトヘトにならなければ意味を成しません。

ひとりでちょいちょいジムに行き、ちゃちゃっと高重量を上げて帰るような今の貧弱筋トレでは、微かな自己満足に浸ることは出来ても、本当の意味での究極の幸せは決して得られるとは思えません。


5年前の日記を読みました。

オールアウトの意味を知り、自分の未熟さを知り、よくうずくまって吐くまで筋トレしたものです。
筋トレの正しいやり方こそ今の方がよく分かっていて、効果的に筋肉を体に反映させることは出来ます。でも、その青臭くてきれいな精神論は、今の私のご都合主義的な筋トレでは絶対に太刀打ち出来ません。
少しだけ大局が見え、効果的に結果を残せるようになってきた自分の体は、表面的な筋力はあれど、自分的に決してかっこよくなく、結果が出なくても泥臭くもがいていたあの頃の筋肉の方がきっと味があったと思います。

3月は、毎年私の筋肉への熱意を思い出させてくれます。
なぜだか分かりませんが、そういう不思議な力が3月にはあるようです。
私が筋トレで具合を悪くしたのも、去年の3月が最後です。
勤務先のトイレでうずくまり、星が舞い、ああ、死ぬかも、アフリカでこれは大丈夫かいな、と思った記憶があります。

今の私は、自分を守り、お酒、体力、色んな事を言い訳にして筋肉を後回し。それでも筋力を保つ表面的なスキルだけは手に入れてしまいました。
あの情熱、あのテストステロンは何処に忘れてきたのでしょうか。

さらりと切り抜ける事は少しだけ覚えました。
悩みぬくよりきっと効果的で、きっと論理的で、きっと合理的です。
ロジカルに答えが出せることはもちろん素晴らしい事ですが、感情的で情緒的な、不安定な泥臭いパフォーマンスの美しさは、何事にも替え難い魅力があるのだろうと思います。
いつも熱闘甲子園で泣いてしまうのは、プロ野球にはない不安定さが人を惹きつけるからなのだと思います。


筋肉は嘘をつきません。

即効性のあるトレーニングが出来るようになってきたのも、私の今までの努力の一つだと思います。
しかし、そのやり方に疑問を感じ始めたのも私の生き方の一つなのだと思います。

そういう意味での、オールアウト。
オーバーワーク自体にはもちろん意味がありません。頑張れば報われるのなら、筋肉なんて誰でも簡単につけることが出来ます。
でもオーバーワークを経験する意味はきっとあるような気がします。
そこで得られる充実感と、そこで得られない結果とのギャップに苦しむ過程は経験しないと絶対に分からないことだと思います。


筋肉は嘘をつきません。

人生も嘘をつきません。


筋肉は一日にして成りません。

人生も一日にして成りません。

それぞれのナミビア

洋平くんがオウタピに来てくれました。


彼はナミビアのルンドゥという町で理数科教師をやっていたナイスガイです。
無事約2年の任期を終え、北部ナミビアをぐるりと回る旅をしていて、その途中に我が町オウタピに立ち寄ってくれました。

夕方に到着し、のんびりと食事の支度を始めます。

献立は、オウタピ名物冷製尽くしです。私のナミビア一番のヒット作で、大体みんなに喜んで食べてもらえます。つまみチックにいただけるので一石二鳥です。

日本にいたときの事、ナミビアで学んだ事、そしてこれからの未来について楽しい話をたくさん聞かせてもらいました。

洋平くんもカオルくんも20代前半のピチピチガイで、私は30代のくすぶったおっさんです。
若い二人の話を聞いていると、その当時自分が悩んでいた事やぶち当たった壁なんかを思い出させてくれます。
僭越ながらアドバイスなどもしながら、その言葉を自分にも言い聞かせます。

語ったり歌ったり踊ったりと、とても楽しい夜を過ごしました。
私は2時過ぎには床に就いたのですが、二人はその後もダンスの練習をしていたようです。
若い力に栄えあれ。


そして次の日は朝から健康管理員のKさんが南アフリカから来られ、マラリアの指導、そして洋平くんセンターへ到着、そしてバオバブツアーと慌しい時間を楽しみます。

バオバブで樹齢8000年の話と歴史の話に洋平くんは満足してくれたようです。
オワンボ族が7つの部族に分かれていること、言葉が似ているけど違うこと、その歴史的背景、などのオワンボ豆知識を楽しんでくれました。


ちなみにオワンボ族は、

①オンバラントゥ Ombalantu(オウタピ Outapi周辺)
②ウウクヮルーディ Uukwaluudhi(ザンディ Tsandi周辺)
③ウウクヮニャマ Uukwanyama(オシカンゴ Oshikango, エナナ Eenhana周辺)
④オンドンガ Ondonga(オシコト Oshikoto周辺)
⑤オンガンジェラ Ongandjela(オカハオ Okahao周辺)
⑥ウウクヮンビ Uukwambi(オシャカティ Oshakati周辺)
⑦ウウコロンカンディ Uukolonkandhi(オネシ Onesi周辺)

で成っています。


使用言語は上から


①オシンバラントゥ Oshimbalantu
②オシクヮルーディ Oshikwaluudhi
③オシクヮニャマ Oshikwanyama
④オシンドンガ Oshindonga
⑤オシンガンジェラ Oshingandjela
⑥オシクヮンビ Oshikwambi
⑦オシコロンカンディ Oshikolonkandhi

です。


その後は職場に帰り、洋平くんは楽しい旅に帰って行きました。
楽しい時間をありがとう。まだ首都で会えるので、その時にまた愉快な時間を過ごしましょう。



この国に来て、一期一会という言葉がよく頭に浮かびます。


大切な時を大切に過ごしたいと思います。



























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2011年3月4日

職場のリアル

ボランティアが派遣されている職場は、やはり質は違えど色々な問題を抱えています。

ナミビアはアフリカの中では比較的発展している方だと思うので、物質的な不足や問題よりも人材の問題をよく耳にします。

黒人政権発足から約20年。
見よう見まねで継続している政府や公務、各省庁の仕事は、白人政権時代の見かけばかりを真似して本質的な物は全く整っていないようです。最近のアフリカの政権崩壊を見れば想像はつくと思います。

その中の小さな町のひとつの問題を紹介します。



私の職場は、オウムサティ州オウタピの青少年文化振興省のユースセンター。
オウタピはオムサティ州の州都(日本でいう県庁所在地のようなもの)で、北部では比較的大きな町です。

ここでの主な仕事は青少年への職業訓練と、一般市民や若者・子供達の交流の場です。
ちなみに私の要請は、コンピュータの職業訓練とスタッフコンピュータスキルの向上です。
周辺の町や村から結構多くの人が集まってきます。
暇な時間も多いのですが、みんなそれぞれに工夫して青少年への啓蒙活動を行なっています。


暇な時間が多い理由は、ずばりセンター長。
新しい試みや、一般市民に対して閉鎖的で、職員のあたためてきたイベントや案をことごとく却下していきます。
私も来た当初にずいぶんと悩みましたが、ここに配属されている以上、トップの判断はどうしようもありません。

そんな彼が、最近久しぶりにセンターにいます。
私が赴任して現在1年と1ヶ月。そのうち10ヶ月職場にいません。

ナミビアの公務員でそこそこのポストについている人は何らかのサイドビジネスや別の肩書きを持っています。
ナミビア人は肩書きや形にこだわります。
形だけならよいのですが、大体公務員業務はほったらかして、サイドビジネスなどの方に精を出します。
権限を渡していかないので、すべての事務処理ややるべき事がことごとく滞っています。
企画の先延ばしをされているスタッフたちは呆れ返っています。

みんな市民や若者のためと色々なことを企画しているのに、センター長の目だけが市民や若者に向いていません。
偉くなればなるほど、目は一般市民に向かなくなるようです。

ちなみに私が却下された主なものは、

・センター利用者への無料リペア
・オウタピ市民への出張リペア
・パソコン室の一般市民への開放
・トレーニングジムの再開

です。

市民の要望が多い事から却下していくので(何か問題が起こる可能性が高い、というのが理由だそうです)、一般の市民からもよく苦情を受けます。私はトレーニングジムのヘビーユーザーだったので、ジムに関しての苦情は一手に引き受けています。


もちろん意見するスタッフもたくさんいました。

志の高いスタッフは、センター長とぶつかり何人も職を変えています。
アメリカ、フランス、他ボランティアたちはケンカした挙句赴任先を変更しています。
私も来た当初激しくケンカし、本気で任地変更を考えていました(そのまま彼がセンターに来なくなったのでそのままですが)。
現在の職員の半分も、今年・来年に向けて職探しをしているそうです。


センターの備品を不必要だと決め付け勝手に片付けたりオークションに出したり、突然インターネットのケーブルを抜いたり(職員はメールチェックさえ出来ず、もちろん一般利用者も使えなくなる)、そして苦情を言っても決して受け付けません。小さな事なのですが、たまに来て余計な事をしていなくなるのでみんな困り果てています。

私も生徒への授業を頼まれすべての準備・引継ぎを終えてから、「やっぱり何かあるとダメだから休講にする」と言われたときは、なぜ呼んだんだ?と本気で悩み、日本に帰ろうかと思いました。その後もまた何ヶ月もいなくなったのですが。。

そして昨日はトレーニングジムもしくはワークショップルーム(広いのでどっちにも使える)を裁縫のクラスへ変更していました。
広い部屋の端っこの方で不自然にミシンをかける生徒達と、空っぽの部屋が出来上がっただけです。ワークショップにもジムにも使えなくなりました。

スタッフに、

「なぜ裁縫は部屋変わったんだ?」

と聞くと、

「1番のオフィスの偉い人に聞いてみれば」

と自嘲気味に答えていました。彼女もここに長くない気がします。



ボランティア慣れしている私の職場は、物質的な援助やマンパワーを求め、根源的なシステムや体制に対して意見すると、そういう要請は出していないと聞く耳を持ちません。
面倒くさいボランティアは替えればいい、というのが私の職場(センター長)のスタンスのようです。

たまにヘッドオフィスや、海外からの視察なんかが来ると、自慢げに紹介するのですが、、、(JICAという名前はアフリカでは有名)。ここはグローバルなんだぞ、という単なるパフォーマンスの様に映ります。



要請内容であるコンピュータに関しては、自分の描く事が少しずつ形になってきました。

スタッフの愚痴や悩みを聞くことも増えてきました。

現地のスタッフの出来ない、言えない事を表現する時期が来ているのかもしれません。





 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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2011年3月1日

若い二人の誕生会
















誕生日会に行ってきました。



オウタピ在住ルームメイトのカオル君と、オハングウェナ在住、北部アイドルのMさんの足して50歳のバースデイです。
二人とも未来に満ち溢れていて、足して105歳の我々は、ぼんやりしていると溺れてしまいそうです。
開催地は、お馴染みのナミビア北部オンダングワなのですが、3月にM木隊員が日本に帰ってしまうので、きっと最後のオンダングワイベントです。来ナミビア当初からずいぶんとお世話になりました。ありがとうございました。


そんな感じでのんびりと誕生日会は始まりました。
いつも物凄く忙しいTさんも、少し仕事が落ち着いたということで参加してくれました。
誕生日の二人をぶち抜いて話の華を持っていってしまうTさんの話題の破壊力には相変わらず楽しませてもらいました。
ジョジョで言うならさしずめ、ザ・ワールド、といったところでしょうか。











お酒もすすんできたところで、M木さんお手製の誕生日ケーキの登場です。
私の無茶振りでお昼から準備をしていただきました。重ねてありがとうございました。

サプライズでのケーキ登場に、カオル君もMさんもいい表情です。
ウクレレでのバースデイソングが忘れられない思い出になってくれれば幸いです。
男3人のダミ声ソングではありますが。


みんな楽しく酔い酔いで笑顔いっぱいで、愉快に誕生日を満喫しました。

一人、二人と静かに床に就き、最後に残されたM木音楽隊で最後のオンダングワの夜を締めます。
たくさんのナミビアでの思い出の歌を弾きながら、今までとこれからに思いを馳せます。
自然と歌に力がこもるのは毎日が楽しいからなのだと思います。



新しいこれからと最高の今までを一緒に味わえた素敵な一日でした。


一期一会な毎日に感謝します。

























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