語学訓練が終了しました。
最終の3日間はプレゼンがメインで、
実際に学校へ行って希望者にパソコンの講義をしました。
パソコンのレベルに差がありすぎて、急遽予定を変更して
マウスの使い方や文字の書き方から指導したのですが、
最後に私のデータがクラッシュしてパニくってしまいました。
それも含めて、すごく良い経験が出来ました。
ありがとうございました。
最終日には、訓練所の語学の先生へのビデオレターを撮ったり、
先生に最後の一言を述べたり(もちろん全部英語)と、
なかなか感動的なフィナーレを迎えることが出来ました。
Mr.Vanbe、語学訓練ありがとうございました。
結構楽しく毎日を送ることが出来ました。
そして今は、赴任地へ向けての最終準備をしています。
首都でしか買えないものがかなりあるので、
今を逃すと、結構な不便が待っています。
米を25キロ買いました。
こんなに食べるのかと不安ですが、
きっとすぐ食べてしまうでしょう。
もちろん技術指導に行くのですが、
今の私に一番必要なのはコミュニケーション能力だと感じています。
会話に必要な最低限の英語力と人間力を伸ばして、
まずは良い人間関係を作ることが良い結果を残す近道だと考えています。
赴任地で自分を追い込んで、まずは円滑なコミュニケーションから始めたいです。
本当の活動が始まります。
かっこつけずに進もうと思います。
2010年1月31日
2010年1月27日
フィールドトリップ
一週間ナミビア北部を巡りました。
私たちの移動手段は基本的にコンビバス(Kombi Bus)という乗り合いバスです。
大体プラス2~3人の定員オーバーになるまで客を待って、猛スピードで出発します。
数時間(今回は最長8時間)満員の山手線のような状態になるので
幾許かの体力と折れない心が必要になります。
今回の日程は、
17日 Windhoek(ウィントフック) → Oshakati(オシャカティ)
18日 Oshakati → Opuwo(オプヲ) → 病院視察 → 市役所視察 →市内視察
19日 市長と挨拶、要請内容の確認 → 市内、住宅街視察
20日 Opuwo → Outapi(オウタピ) → 病院視察 → 省庁視察 → 市内視察
21日 Ministry Of Youth(青少年省)挨拶、要請の確認 → Oshakati → Oshakati市内視察
22日 Oshakati → Windhoek
という少しばかりハードなスケジュールでした。
ちなみに私の配属先はオウタピという町の Ministry Of Youth の職業訓練校です。
要請は、パソコンのメンテナンス、修理、メンテナンス指導、
新しいソフトの導入、アップグレード、インストラクター・訓練生への指導、
セキュリティ指導、訓練所スタッフの技術レベルの底上げ、
こんな感じです。
あせらず一つずつこなしていこうと思います。
北部の町は、オプヲもオウタピも「アフリカ」っていう感じで
独特な喧騒に満ち溢れていて、そして人がすごく優しいです。
オプヲはヒンバ族(裸族)で有名で、オウタピはバオバブの木(大きな木)で有名です。
どちらものどかで、でも活気があってすごく暮らしやすそうです。
これから自分が生活していく町を知り、不安と期待が入り混じった不思議な気持ちです。
忘れられない2年間を精一杯堪能したいと思います。
そういえば、訓練所の施設に最新トレーニングジムが完備してありました。
神様はいつも私にサプライズを与えてくれます。
ラベル:
ナミビア観光・文化,
青年海外協力隊(ナミビア)
2010年1月20日
Katutura
Katutura(カタトゥーラ)に行ってきました。
カタトゥーラとは、アパルトヘイト(人種隔離政策)時に
黒人に対して設けられた居住区で、主に貧困層の黒人が大勢住んでいます。
ナミビアも南アフリカと同じで白人の黒人に対する差別が根強く残っていて、
時々顔を見せてしまう卑屈な態度が私たちをを悲しくさせます。
しかし、ナミビアの人々は他のアフリカ諸国に比べ優しい人が多いらしく、
手を切断して時計を盗んだりとか、銃を使って強盗したりとかはほとんどありません。
マーケットで話してみるととてもみな親切で、最初はニーハオニーハオしつこいのですが、
最後にはマイフレンドと握手してさよならします。
初めて生のアフリカに触れた気がして、笑顔で一生懸命話をしました。
通学途中の小学生と遠くで目があってその子が笑顔で手を振ってくれたとき、
かわいすぎて、感動して、幸せが止まりませんでした。
子供たちは地球の宝ものです。
スペインが大好きなおじさんとか、アジアに詳しいおじさんとか
意外といろんな人がいてとても愉快です。
世界大戦と原爆のことを知っている人がいて、
そのことに言及された時は少し驚いてしまいました。
白人でも黒人でも黄色でも、富んでも貧しくても普通でも、
見えている景色は同じで、考えることも同じで、
笑っているときが一番幸せなのだろうと思います。
少しだけそんな世界に触れることが出来たことをとても幸せに感じています。
m(_ _)m
カタトゥーラとは、アパルトヘイト(人種隔離政策)時に
黒人に対して設けられた居住区で、主に貧困層の黒人が大勢住んでいます。
ナミビアも南アフリカと同じで白人の黒人に対する差別が根強く残っていて、
時々顔を見せてしまう卑屈な態度が私たちをを悲しくさせます。
しかし、ナミビアの人々は他のアフリカ諸国に比べ優しい人が多いらしく、
手を切断して時計を盗んだりとか、銃を使って強盗したりとかはほとんどありません。
マーケットで話してみるととてもみな親切で、最初はニーハオニーハオしつこいのですが、
最後にはマイフレンドと握手してさよならします。
初めて生のアフリカに触れた気がして、笑顔で一生懸命話をしました。
通学途中の小学生と遠くで目があってその子が笑顔で手を振ってくれたとき、
かわいすぎて、感動して、幸せが止まりませんでした。
子供たちは地球の宝ものです。
スペインが大好きなおじさんとか、アジアに詳しいおじさんとか
意外といろんな人がいてとても愉快です。
世界大戦と原爆のことを知っている人がいて、
そのことに言及された時は少し驚いてしまいました。
白人でも黒人でも黄色でも、富んでも貧しくても普通でも、
見えている景色は同じで、考えることも同じで、
笑っているときが一番幸せなのだろうと思います。
少しだけそんな世界に触れることが出来たことをとても幸せに感じています。
m(_ _)m
ラベル:
ナミビア観光・文化,
青年海外協力隊(ナミビア)
2010年1月19日
現地視察中
現在フィールドトリップ(現地視察)中です。
Opuwo(オプヲ)という町に来ているのですが、
ここはヒンバ族という裸族の町で、裸の女性たちがウロウロしています。
みんなが思い浮かべるアフリカといっても遜色ないと思われます。
首都に比べると人がすごく優しくて、とてもすごしやすそうです。
首都からバスで移動してきたのですが、
町と町の間が数百キロ離れていて木しかありません。
野生の牛や馬がたまに道を横断していて少し微笑んでしまいます。
町にインターネットカフェっぽいのがあったので、今入ってみているのですが、遅い。。
ネットに困ることはなさそうですが、ストレスにはなりそうです。
写真は首都に戻ってから上げようと思います。
明日は私の働くOutapi(オウタピ)という町の視察です。
自分のこれからの2年間を確認して来たいと思います。
Opuwo(オプヲ)という町に来ているのですが、
ここはヒンバ族という裸族の町で、裸の女性たちがウロウロしています。
みんなが思い浮かべるアフリカといっても遜色ないと思われます。
首都に比べると人がすごく優しくて、とてもすごしやすそうです。
首都からバスで移動してきたのですが、
町と町の間が数百キロ離れていて木しかありません。
野生の牛や馬がたまに道を横断していて少し微笑んでしまいます。
町にインターネットカフェっぽいのがあったので、今入ってみているのですが、遅い。。
ネットに困ることはなさそうですが、ストレスにはなりそうです。
写真は首都に戻ってから上げようと思います。
明日は私の働くOutapi(オウタピ)という町の視察です。
自分のこれからの2年間を確認して来たいと思います。
ラベル:
青年海外協力隊(ナミビア)
2010年1月13日
Windhoek sightseeing
今日は先輩隊員の方にウィントフック市内を案内してもらいました。
徒歩で大通りをプラプラと大型ショッピングモールへと向かいます。
道を歩きながら、前に話を聞いた
手に入らないものはないというアドバイスの意味がわかりました。
日本レベルであらゆる店があります。
街並みはヨーロッパで首都は白人も多いので、
ここがアフリカであることを忘れてしまいそうです。
その後にみんなで城跡にある素敵なホテルでお茶しました。
さすがに元お城なだけあって、とても贅沢な感じです。
そういえば、ナミビアは「ジニ係数」という、貧富の格差を表す値が世界一なのだそうです。
私が今見ているこの世界は、その富裕層の世界だと思います。
そして今度私が赴任する地域はその貧困層の一部にあたると思います。
アフリカのいいところも悪いところも見届けて、
自分の出来る最高のパフォーマンスが出来ればと思います。
m(_ _)m
2010年1月7日
NAMIBIA
ナミビアに到着しました。
南アを朝6時半に出発して空港で若干キョロキョロしながら飛行機に乗り込みます。
ナミビア南部はまさにグーグルアースのまんまで本当に何もありません。
そんな中突然滑走路が現れます。
飛行機の出口から階段を下りるとき、その景色に圧倒されました。
何というか、空港に降りただけで感動したのは初めてです。
空がきれい過ぎてビックリしました。
空港で無事ビザの発給を済まして、車に乗り込みます。
アフリカに来たということを少しだけ実感することが出来た気がします。
何もないって、すごい。
その後は宿泊施設に荷物を降ろし、、オリエンテーションを受けたり、
病院を見に行ったりウロウロして、チャイナタウンに食事に行きました。
中国人はどこでもいます。
ドミトリーに泊まるのですが、一部屋だけいい部屋で、後は普通というひどい配置だったので、勝負になりました。
プライドを賭けたじゃんけんは惨敗で、見事にSモダ先生と二人部屋です。フォースが足りません。
そして、快適に眠りにつきました。
次の日は、オリエンテーションと語学の授業、そして先輩隊員と食事に行きました。
訓練所に比べるとかなり楽なので、リラックスしています。
みんなすごく歓迎してくれます。ありがとうございます。これから2年間よろしくお願いします。
日常のような、夢のような、不思議な経験をしています。
南十字星を見れることが、非日常を教えてくれます。
m(_ _)m
2010年1月5日
START MY NEW DAYS
私の新しい毎日が始まりました。
実は年始の牡蠣にあたり、空港に行く前の病院で、「ノロウイルスですね、多分」
と診断され、抗生物質を飲みながらの搭乗手続きでです。
福岡では軽く重量オーバーをクリアし、ゆっくりと成田へ向かいます。
まずは両親へ。
いつもありがとうございます。
心配かけないようになるだけ連絡は取るように心がけます。
強いので、たぶん大丈夫です。
そんな感じで、福岡→成田(2時間)、成田→香港(5時間)、香港→ヨハネスブルグ(14時間)を
さらりとこなします。
飛行機の中で、「IS THIS IT」と「カールじいさんと空飛ぶ家」を見ました。
どちらももちろん感動したのですが、特にカールじいさんはすごくて、
約1時間号泣してました。外人が驚くほどの泣きっぷりだったので、、
見たことない人は是非見てみてください。涙を約束します。泣かない人はただの鉄です。
涙の中、無事ヨハネスブルグ(南アフリカ)に到着しました。
意外と涼しくて、だがやっぱり暑いという少し不思議な感じです。
治安はすさまじく悪くて、昼でも市内は歩けません。
南ア隊員と一緒にゲストハウスへ行きました。
ヨーロッパのお洒落な別荘みたいな素敵なところで、庭でビールを飲んでいると、もうアリスです。
大使館へ表敬訪問へ行って、その後パーティーがありました。
大使館では南アとナミビアのありがたいお話を伺って、パーティーでは先輩隊員のありがたいお話を伺いました。
そういえば、ナミビア澤田良司(30)が、早速鍵をなくして南京錠を切断しました。残念。
みんな相当疲れているらしく、9時頃には眠りについてしまいました。
書きたいことがありすぎて、書きたいことが書けません。
全部が新しくて、何が新しいのかわかりません。
ラベル:
青年海外協力隊(ナミビア)
2010年1月3日
初詣
2010年1月2日
HAPPY NEW YEAR
明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
気づけば、もう数日で日本を旅立ちます。
そんなつもりはなかったのですが、やはり元旦だからなのか、
これからの自分をつい見つめ直してました。
昨年は、すごい変化の一年で、慌しく毎日が過ぎていきました。
今年は慌しく過ぎるのが分かっている一年なので、
昨年以上に気を引き締め、計画的に行こうと誓ってみます。
たまに私、ぬるくなります。
ぬるい自分も嫌いではないのですが、出国も間近なので気合を入れなおします。
strictという言葉を最近よく使っていたので、そんな感じで頑張りたいです。
元旦に無意識に今年一年のことを考えたのはこれまでの人生で初めてです。
何かを少しでも得ることが出来る一年にしたいと思います。
こんなダグラスをまた一年間よろしくお願いします。
ヒナとサンタが少し懐きました。
今年はいいことがありそうです。
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