2012年1月27日

忘れられない事

この2年間で一番記憶に焼きついているのは、協力隊員の、仲間の交通事故での死でした。

2週間前にオウタピに来て、途上国の現状での悩みをお互いに語り、帰国後の夢を語り、自分の不甲斐なさを二人で笑い、福岡に帰ってからの飲み会に思いを馳せ、飲んで、歌って、踊って、楽しい楽しい夜を過ごしました。

事故の直前になる日曜日の午前中に連絡し、イベントの事を軽く話し合い、来週の再会を約束しました。

次の日の午前中、突然の連絡を受けたあと、全く意味が分かりませんでした。頭が真っ白になり、急に手が震えだし、具合が悪くもなりました。
その日に予定されていた事を全てキャンセルし、その日のうちに首都へ上がりました。

事務所に到着してすぐ、狼狽し、泣きじゃくり、顔が真っ青になったそれぞれの隊員に会いました。
次の日に、婚約者に会いました。
その次の日に、ご両親に会いました。
全てが信じられない中で粛々と進んでいきました。

「私友だち少ないんですけど、なんか緒方さんとは一生の友だちになりそうな気がするんですよ。福岡でもよろしくお願いしますね。あはははは~。」

今でも信じられません。

数週間に一度、同僚がHIVで友人を亡くしているのを、何となくしか感じ取れていませんでした。
人の死、人の命一つひとつに考えられないやりきれなさがあるという事を、奇しくも日本人の仲間の死、という事で思い知らされました。

青年海外協力隊で派遣される場所は、世界でも比較的に治安が落ち着いている場所に派遣されますが、「日本と比べて」安全ではないという事をいつも考えてほしいです。私のいるナミビアの交通事故率も、人口比で考えるとありえない高さだと思いますし、私がいるたった2年間でも、安全といわれて派遣されていたチュニジア、エジプト、シリアなどの国では強制退避の命令が下され、ケニアの首都では爆破テロがあり、ザンビア、ボツワナ、マラウイも一時入国禁止になりました。

途上国にいると、安全への感覚が麻痺します。穴が開いている道路で130キロで疾走する旧型のトラックの荷台に大勢乗ってガンガン追い越しを駆けていく、というこの国での普通は、日本で一車線の高速道路で荷台に乗って、ガンガン追い越しをかけているのよりだいぶ危険です。

少しでも心の中に注意する気持ちがあれば、たった少しでも危険を察知する可能性は上がると思います。
どうしようもない事も、どうしようもない時ももちろんあると思います。
ある程度の覚悟をして途上国に来たその気持ちを、ある程度の期間がたってからも思い出してほしいです。

世界中でボランティアをしている全ての人が安全に帰国できる事を望みます。

0 コメント:

コメントを投稿