2012年11月4日

Step by step


少しだけ区切りがつきました。

新しい事を始めた3年前、模索していた2年前、ただ努力した1年前、そして振り返る今。自分が決めたことが本当にやりたいことなのかを考えてみると、驚くくらいにその通りで、そして毎日は淡々と過ぎていきます。いろんなものを捨てる覚悟をして、たくさんの決断があって、でもそれが楽しくて、たくさんの新しいものが見つかりました。

どんなに頑張ったつもりでも、いつも努力が足りなくて、少しだけたぶん成長して、また振り返るときが来るのだろうと思います。悩んだり愚痴をこぼしたり、サボったり後悔したり、でも何をやっても楽しい今にすごく感謝します。

これからの1年間、正直に一生懸命に前向きに、そしていつも笑って頑張れたらいいなと思っています。謙虚に静かに優しく、そしていろんなことが学べたらいいなと思います。


毎朝空を見て思うようになりました。

晴れでも曇りでもそんなに一日はわるくないです。

2012年9月16日

そして広島

















現在広島でお仕事しています。

一体何をやってるんだ?とよく聞かれるので、ちょっと説明してみます。


お仕事の内容は、人材育成事業。平和構築の分野でより高いレベルで働きたい人、もしくは今後平和構築分野でキャリアを作っていきたい人のために3つの研修コースを実施し、その後国連PKOミッションや国際機関に派遣します。国連ボランティア計画と外務省共同のプロジェクトで、私の職場がその実際の運営を行っています。お仕事してみて実感したのですが、おそらく平和維持・構築分野の世界最高峰の研修が受けられるのではないかと思います。

そんな中での私の役割は、プログラムコーディネーター。主に研修を受ける人たちの募集選考から、研修中のお世話・調整、国外に送り出す段取りと、その後のケアとネットワークの管理・調整です。それに加えて募集・選考の過程にかかる説明会・セミナー、シンポジウムのお仕事なども行います。JICAや外務省、UNVや大学なんかと、要は調整係をやっています。私の今後やりたいことを伝えたら、優先的にそれに関する仕事を回してくれるようになりました。ありがたや。


特筆すべきは、講師の方たちの質の高さです。事務局運営の責任者は日本有数の学者さんで、代表は世界的な紛争解決屋さんです(どっちも講師もやります)。他の講師の人たちも、紛争地のミッションをまとめてる人とか、ほとんどが国連や国際NGOのの実務家さんです(半分以上外国人)。他は、JICAの人とか、内閣府の人とか。なんかフワフワします。


研修生となる人も結構すでに実務経験豊富な人が多く、JICAで働いてたりとか、国連ですでに働いてたりとか。何で今さら研修?と聞きたくなるような人もいるのですが、まあ、講師と研修の質の高さゆえだと思っています。研修生も半分外国人です。


そんな感じで調整の毎日を送っています。なかなか接する機会のない人たちなので日々ワクワクしながらお仕事しています。8ヶ月間の事業単位のお仕事なので、延長するかどうかは分かりませんが、とりあえず来年の3月まではお世話になって、色々と勉強させてもらおうと思っています。


非常にたくさんの出会いがたくさんあります。

ひとつひとつの出会いを大切にしたいと思います。



2012年5月30日

強いということ


「強くなる」ということが私にとってのひとつの目標です。

強さの定義なんて人によってそれぞれで曖昧なのですが、とにかくいつも強くいられるように心がけています。

大切なものを守れる自分でいること。
いつでも与えられる人でいること。
いつも優しくあること。
嘘をつかないこと。
正直であること。
責任転嫁しないこと。
前向きであること。
決断力を持つこと。
大きくあること。
謙虚であること。
相手の気持ちになって考えること。
いつでも笑えること。
いつも感謝すること。


相手の気持ちになって行動できるときは、そこそこ強くもいられて、そして相手に喜んでもらえたときが自分が一番楽しいときです。自分のことだけ考えているときの自分はすごく弱くて、自分のことを人に押し付けます。

自分のことばかりを考えると周りのことが見えなくなって、周りのことばかり考えると自分のことが見えなくなります。でも、自分のやりたいことが周りの求めることだったときはとても楽しく毎日が過ごせます。

弱いときの自分は嫌いです。大切なものが守れなくて、与える事ができないで、優しくなくて、嘘つきで、責任転嫁して、後ろ向きで、決断力がなくて、小さくて、横柄で、笑えなくて、感謝できない。

いつでも、どこでも、自分が何を感じていても、人が何を感じていても、私が思う、強くあること。いやな事があったり、つらい事があったりしたとき、弱い自分に気付ける自分でありたいです。そして、弱い自分を少しずつ変えて、少しだけ強い自分に戻れたらと思います。


小さな変化に気付けるときは、周りのことを考えています。

大きな変化に気付いたときは、自分のことを考えていたのだと思います。

2012年5月20日

セブ島、ボホール島 - Cebu and Bohol Island -















ボホール島とセブ島に行ってきました。


ボホール島はフィリピン中部ヴィサヤ諸島の島であり、国内10番目の大きさの島です。海が綺麗な事で有名らしく、ダイビングスポットとして栄えているようです。

そんなボホール島の隣のパングラオ島、アロナビーチで少しのんびりとした余暇を過ごしました。有名な観光地ではありのですが、日本人の姿はほとんどなく、日常を忘れて優雅なひと時に浸りました。すごくきれいなビーチに腰掛け、サンミゲルというフィリピン産のビールを飲むと、もはや至福です。本当に生まれてきて良かった。

アロナビーチに到着する前に、セブも観光しました。フィリピンの色々な場所で戦争の傷跡を目にします。自分の無知に改めて気付かせてくれます。見に行ったところは、サンペドロ教会とマゼランクロス、戦争跡地、それとカルボンマーケットです。マーケットはみんな人懐っこくて、すごく活気に満ちていました。みんなの笑顔がたまりません。






ボホールでの最初は、島内観光です。ここの見所は、すばり「チョコレートヒル」。村の青年アロゴが女性アロヤに恋をする。でも、アロヤには死期が迫っており、やがて死んでしまいます。アロゴの流した涙がチョコレートヒルになった、という物語です。
その眺めはやはり圧巻でした。アロゴはよほどアロヤを愛していた事でしょう。












そして、アロナビーチ。ここではひたすらのんびりしました。海を見ながら新鮮な海鮮を食べて、ビールを飲んで、浸る。夜は生バンドの演奏を聞きながら、美味しい海鮮を食べて、ビールを飲んで、浸る。もはやぐうの音も出ないほど幸せです。老後は海の近くで過ごそうかと本気で考えてしまいました。




バリカサク島にも行ってきました。バリカサク島とは、パングラオ島の近くの小さな島で、有名なダイビングスポットです。私はのんびりとシュノーケルを楽しみました。あまりにも綺麗な珊瑚に手を伸ばしても、もちろん手は届きません。目の前の珊瑚は、海の底です。











島の小さな食堂で取ったばかりのイカと魚を食べました。これがまた、美味い。透明な海。美味しいご飯。澄んだ空。心地よい音楽。子どもたちの笑顔。おじさんの酔いどれ話。へんな形の珊瑚のかけら。私の大好きなものが全部そこにありました。

夜は、小高い海の見える丘の上で、生バンド聞きながらのんびり。夜の海もすごく綺麗で、その上の星も綺麗で、遠くの浜辺の露天からの光が妙に神秘的です。遠くから見るファイアーダンスがあんなに魅惑的だとは思いませんでした。


きれいな場所が大好きです。

きれいなものはたくさんのことを教えてくれます。


2012年4月5日

サマル島 - Samal Island -

















サマル島に行ってきました。


サマル島とはフィリピンのダバオ市の隣にある小さな島で、ちょっとした隠れ家的ビーチリゾートです。イースターで学校が休みになったのもあり、スパルタ校の勉強仲間と息抜き旅行です。

到着時のウェルカムドリンクにまず感動してしまいました。夜のビーチは魅惑的で、つい飛び込んでしまいそうです。光がほとんどないその砂浜からの星空には言葉もありません。

そして早速ディナーです。海が一望できるレストランでのお洒落なお食事はもはや夢の中。旅行者もほとんどいない隠れ家リゾートなので、全く現実感がありません。料理もすごく美味しくて、もう感動しっぱなしです。

その後は、部屋でワインを楽しみます。10人まで泊まれるドミのような部屋と聞いていたのですが、広くて小洒落たロッジ風な内装で、みんなの予想をはるかに上回ります。ゴロゴロしながら新鮮なフルーツを食べて、フワーッと酔っ払いました。

酔い覚ましに、プライベートビーチへ。誰もいないビーチは静かで、星は完璧に綺麗で、何処かしこにも惹き込まれていきそうです。英語の勉強の話をしたり、点数取った後の目標や夢の話をしたり、今までの仕事の話をしたり、話は尽きません。


次の日は、島巡りとビーチです。バイク3人乗りで島中を回り続けるという若干過酷なプランですが、楽しさが上回りました。蝙蝠の洞窟を見て、きれいな渓流でのんびりして、ビーチでシュノーケルを楽しみました。途中にガイドが事故るというアクシデントがありましたが、大事には至らずテンションはギリギリキープです。


そして我がビーチに帰ってきた後は、砂浜でディナー。大好きなサンミゲルを飲みながら、海鮮とイタリアンを堪能しました。みんな顔がほころんでいました。圧倒的な癒し空間です。サマル島おそるべし。




3日目はプールでチャパチャパと泳ぎます。ココナツジュースを飲みながら、太陽の光を満喫です。ビーチリゾートに乾杯。心が洗われました。リゾートの名前は、ホフグレイリゾート。サマル島でもそんなに有名ではないですが、静かな場所が好きな人にはうってつけのリゾートです。


きれいな空ときれいな海が大好きです。

この国は素敵なものをたくさん持っています。

2012年3月25日

English school in Davao City, Philippines













今フィリピンのダバオにいます。

フィリピン共和国は、東南アジアに位置する共和制国家です。島国であり、フィリピン海を挟んで日本、ルソン海峡を挟んで台湾、スールー海を挟んでマレーシア、セレベス海を挟んでインドネシア、南シナ海を挟んでベトナムと対しています。

ダバオ市は、フィリピン南部ミンダナオ島のダバオ・デル・スル州にある、メトロ・マニラ、メトロ・セブに次ぐフィリピン第3位の都市です。民族は、ビサヤと呼ばれていて、セブアノ語を話します。公用語は英語です。果物が美味しくて安く、市場を通るとドリアンの匂いが漂ってきます。

そんなダバオで、英語学校に通っています。日本人数名と韓国人たくさんの韓国人経営の英語スクールで、ダバオ市で唯一ETS(Test of English as a foreign language)公認の学校です。要は、TOEICやTOEFLをやってる組織認定の学習施設で、学校内で試験を受ける事も出来ます。

ダバオでの学習も一ヶ月が経ち、少しだけ落ち着いてきました。ここでの生活をご紹介します。

 7:00  起床
 8:00~ 8:20  Vocabulary Test
 8:30~ 9:20  Speaking Lecture
 9:30~10:20  Wrighting Lecture
10:30~11:20  Self-Study
11:30~12:20  Reading Lecture
12:20~13:30  Lunch
13:30~16:20  Self-Study
16:30~17:20  Listening Lecture
17:20~18:00  Dinner
18:00~19:30  Exercise, Shower
19:30~22:00  Self-Study
22:30~ 0:00  Self-Study
0:00~  自由

書いていて思いましたが、やはりスパルタ学校です。平日は外出禁止で、単語テストの結果によっては週末も外出が制限されます。学習は自分の部屋ではなく基本的に自習室で全員やらされるので、一生懸命勉強しているみんなを見るととても刺激になります。

肝心の成果なのですが、やはりなかなか難しいです。語学は一日にして成らず、筋肉は一日にしてならず。語学は嘘をつかない、筋肉も嘘をつかない。もはややるだけです。


休日は少しのんびり出来ます。フィリピン料理を食べたり、韓国人とお酒を飲んだり、日本人の生徒と語らったり、なかなか有意義な時間です。みんなそれぞれ目標を持っていて、話を聞くとすごくやる気になります。みんな愉快です。



そしてやはり、フィリピン人は非常に陽気で楽しいです。町を歩けばバーでは生演奏が流れ、みんな歌って笑って、見てるこっちも楽しくなります。乗り合いバス(ジプニー)での移動は現地の人からいろんな話が聞けて、砂埃と排気ガスを全身に浴びる事ができる大好きな時間です。


独特の重たい空気にワクワクします。

アジアの喧騒が大好きです。


2012年1月27日

忘れられない事

この2年間で一番記憶に焼きついているのは、協力隊員の、仲間の交通事故での死でした。

2週間前にオウタピに来て、途上国の現状での悩みをお互いに語り、帰国後の夢を語り、自分の不甲斐なさを二人で笑い、福岡に帰ってからの飲み会に思いを馳せ、飲んで、歌って、踊って、楽しい楽しい夜を過ごしました。

事故の直前になる日曜日の午前中に連絡し、イベントの事を軽く話し合い、来週の再会を約束しました。

次の日の午前中、突然の連絡を受けたあと、全く意味が分かりませんでした。頭が真っ白になり、急に手が震えだし、具合が悪くもなりました。
その日に予定されていた事を全てキャンセルし、その日のうちに首都へ上がりました。

事務所に到着してすぐ、狼狽し、泣きじゃくり、顔が真っ青になったそれぞれの隊員に会いました。
次の日に、婚約者に会いました。
その次の日に、ご両親に会いました。
全てが信じられない中で粛々と進んでいきました。

「私友だち少ないんですけど、なんか緒方さんとは一生の友だちになりそうな気がするんですよ。福岡でもよろしくお願いしますね。あはははは~。」

今でも信じられません。

数週間に一度、同僚がHIVで友人を亡くしているのを、何となくしか感じ取れていませんでした。
人の死、人の命一つひとつに考えられないやりきれなさがあるという事を、奇しくも日本人の仲間の死、という事で思い知らされました。

青年海外協力隊で派遣される場所は、世界でも比較的に治安が落ち着いている場所に派遣されますが、「日本と比べて」安全ではないという事をいつも考えてほしいです。私のいるナミビアの交通事故率も、人口比で考えるとありえない高さだと思いますし、私がいるたった2年間でも、安全といわれて派遣されていたチュニジア、エジプト、シリアなどの国では強制退避の命令が下され、ケニアの首都では爆破テロがあり、ザンビア、ボツワナ、マラウイも一時入国禁止になりました。

途上国にいると、安全への感覚が麻痺します。穴が開いている道路で130キロで疾走する旧型のトラックの荷台に大勢乗ってガンガン追い越しを駆けていく、というこの国での普通は、日本で一車線の高速道路で荷台に乗って、ガンガン追い越しをかけているのよりだいぶ危険です。

少しでも心の中に注意する気持ちがあれば、たった少しでも危険を察知する可能性は上がると思います。
どうしようもない事も、どうしようもない時ももちろんあると思います。
ある程度の覚悟をして途上国に来たその気持ちを、ある程度の期間がたってからも思い出してほしいです。

世界中でボランティアをしている全ての人が安全に帰国できる事を望みます。

2012年1月1日

Swakopmund, Walvis Bay - Last Trip in Namibia -
















スワコプムンドとウォルビスベイに行ってきました。

と言っても6ヶ月前(2011年末と2012年始)の出来事なので、詳細は割愛。非常に楽しかった事だけ日記として書き留めておきます。

オプヲとカティマのおじさんありがとうございました。オウタピの好青年は相変わらずご機嫌です。