今相当に愕然としています。
最近1ヶ月、食中毒以降体調が思わしくなく、気持ち的にもなんか弱い感じで過ごしてきました。
食事の量も減り、酒量も増え、順調な活動が唯一の救いです。
数名の友人達に、急に痩せたと言われ、不安になって先ほど1年前の写真を見てみました。
「!!!!!」
1年前の私は大胸筋は盛り上がり、肩はたくましく、僧帽筋はとても素敵です。
今の私は、、、老いています。
顔の覇気も全く異なり、現在は爽やかさのかけらもありません。
決めました。
明日から、超健康月間。
3月中旬に健康診断で首都に上ります。
その時に向けて、体中の澱を出しつくします。
1日おきのトレーニングで、大胸筋、三角筋他失っている全てを取り戻し、肌の質感さえも変えてしまうことを企みます。トレーニング室通いも、再開。
とりあえず、健康診断までは、禁酒。トレーニングをやる以上、肝臓への過度の負担は禁物です。超健康を目指すならば、現在の私に、禁酒は必須。
偏った食生活からバランスのよい食生活へ。また、正しい水分補給を。
最近はお茶作りもサボってしまい、コーラとかばかり飲んでいました。
食事も野菜中心だった半年前に比べ、野菜が明らかに減っています。
いつも笑顔で。
いつも楽しい気持ちでいれば、自然と免疫力が高まると聞いたことがあります。
毎日をポジティブに生きることで、超健康な体作りを。
不健康な自分が情けない。かっこ悪い。ああ、嫌だ。
最近今ひとつ乗らない理由が解明されました。
そう、筋肉です。
毎回自分が何かに躓きそうになった時、いつも助けてくれたのは筋肉でした。
毎回裏切られた時、裏切らないのは筋肉でした。
世界が輝いていた時、私は筋肉で輝いていました。
私が筋肉に目を向けたとき、世界が変わる予感をいつも感じました。
今再び、筋肉に目を向けるときがやってきました。
筋肉はいつも私に大切な事を教えてくれます。
2011年2月28日
2011年2月23日
新しい別れに向けて
ケンゴがオウタピに遊びに来ました。
ケンゴはルーデリッツの旅やトレードフェアなど、ナミビアに来てたくさんお世話になったアメリカピースコ所属の侍ボランティアです。
もちろん日本語も英語も堪能で、ナミビアに来てからは現地語もしゃべれるというとても勉強熱心な好青年です。
会った最初から気兼ねなく何でも話せたという、私にとってとても不思議なタイプです。
彼の温かい人柄がそうさせるのかもしれません。
職場でウロウロしていたら、「Hello」と声をかけられ、一瞬「??」となった後に、「ケンゴ!!」という再会です。
サプライズでの訪問に喜びつつも、出かけていたらどうするつもりだったのでしょう。まあ、普通にいたので問題なしです。
軽くセンターを案内して、その後はスタッフに個別指導の予定だったので、パソコン室でのんびりしてもらいます。
彼に英語で説明しているのを聞かれるのは少し緊張します。
なるべくサクサクと切り上げて、早退の許可をもらい、オウタピ名物バオバブツリーへ行きました。
彼はナミビア北部のオシャカティに2年間とナミビア南部ルーデリッツに1年間住んでいたので、オウタピのことも含めて北部のことは私よりもよく知っています。当然バオバブにも来た事があったのでプラプラと世間話でもしながらまったりします。
そんな道すがら、野生のカメレオンを見つけました。
擬態していたので踏みそうになり、思わず悲鳴を上げてしまいました。
初めてみた野生のカメレオンにビクビクしていたら、ケンゴが有無を言わさず掴みます。カメレオンも「ワシャー」と応戦しますが、爬虫類のくせに動きが鈍く、まんまと捕まってしまいました。
一度私の家の中で逃げ出し、大捜索をするというハプニングもありましたが、職場のみんなに見せた後に無事野性に帰っていきました。ちなみに現地語では、「フィンビーフィンビー」です。
バオバブから帰って、親子丼と鳥の味噌煮豆入りを作ります。私が親子丼担当、ケンゴが味噌煮担当、そしてルームメイトのカオル君がビリー担当です。一番大変だったのはビリーで、一部しか再生できずに不完全燃焼のカオル君でした。
そして、乾杯です。
ナミビアに来て3年間の思い出話は尽きる事がありません。
我々青年海外協力隊は基本活動期間は2年間ですので、いろいろな日本人との出会いと別れ、北部での活動の事、急遽南部へ任地を変わることになったこと、そしてそれが結果としてよかったという事。
ナミビアは北部と南部で全く顔が違います。
両方のいい面悪い面をしっかり見届けて、きちんとした区切りをつけて帰れることをすごくいい表情で語ってくれました。
そんな感じで熱く語っていると、普段あまり飲まない彼もお酒がすすみます。
ビールが10本ほどなくなったところで、ダンス合戦が始まりました。3人で狭い部屋で泥酔して汗だくで踊り狂う姿はもはや見れたものではないと思います。
最高に笑って、最高に踊って、最高に楽しくて、最高に素敵な、最高の仲間です。
ナミビア北部で彼と出会い、彼を見送ることが出来ることを誇りに思います。
ナミビアに来て、別れの機会が増えました。
素敵な別れに出会えることに感謝します。
ケンゴはルーデリッツの旅やトレードフェアなど、ナミビアに来てたくさんお世話になったアメリカピースコ所属の侍ボランティアです。
もちろん日本語も英語も堪能で、ナミビアに来てからは現地語もしゃべれるというとても勉強熱心な好青年です。
会った最初から気兼ねなく何でも話せたという、私にとってとても不思議なタイプです。
彼の温かい人柄がそうさせるのかもしれません。
職場でウロウロしていたら、「Hello」と声をかけられ、一瞬「??」となった後に、「ケンゴ!!」という再会です。
サプライズでの訪問に喜びつつも、出かけていたらどうするつもりだったのでしょう。まあ、普通にいたので問題なしです。
軽くセンターを案内して、その後はスタッフに個別指導の予定だったので、パソコン室でのんびりしてもらいます。
彼に英語で説明しているのを聞かれるのは少し緊張します。
なるべくサクサクと切り上げて、早退の許可をもらい、オウタピ名物バオバブツリーへ行きました。
彼はナミビア北部のオシャカティに2年間とナミビア南部ルーデリッツに1年間住んでいたので、オウタピのことも含めて北部のことは私よりもよく知っています。当然バオバブにも来た事があったのでプラプラと世間話でもしながらまったりします。
そんな道すがら、野生のカメレオンを見つけました。
擬態していたので踏みそうになり、思わず悲鳴を上げてしまいました。
初めてみた野生のカメレオンにビクビクしていたら、ケンゴが有無を言わさず掴みます。カメレオンも「ワシャー」と応戦しますが、爬虫類のくせに動きが鈍く、まんまと捕まってしまいました。
一度私の家の中で逃げ出し、大捜索をするというハプニングもありましたが、職場のみんなに見せた後に無事野性に帰っていきました。ちなみに現地語では、「フィンビーフィンビー」です。
バオバブから帰って、親子丼と鳥の味噌煮豆入りを作ります。私が親子丼担当、ケンゴが味噌煮担当、そしてルームメイトのカオル君がビリー担当です。一番大変だったのはビリーで、一部しか再生できずに不完全燃焼のカオル君でした。
そして、乾杯です。
ナミビアに来て3年間の思い出話は尽きる事がありません。
我々青年海外協力隊は基本活動期間は2年間ですので、いろいろな日本人との出会いと別れ、北部での活動の事、急遽南部へ任地を変わることになったこと、そしてそれが結果としてよかったという事。
ナミビアは北部と南部で全く顔が違います。
両方のいい面悪い面をしっかり見届けて、きちんとした区切りをつけて帰れることをすごくいい表情で語ってくれました。
そんな感じで熱く語っていると、普段あまり飲まない彼もお酒がすすみます。
ビールが10本ほどなくなったところで、ダンス合戦が始まりました。3人で狭い部屋で泥酔して汗だくで踊り狂う姿はもはや見れたものではないと思います。
最高に笑って、最高に踊って、最高に楽しくて、最高に素敵な、最高の仲間です。
ナミビア北部で彼と出会い、彼を見送ることが出来ることを誇りに思います。
ナミビアに来て、別れの機会が増えました。
素敵な別れに出会えることに感謝します。
ラベル:
ナミビア日常,
青年海外協力隊(ナミビア)
2011年2月22日
20-4北部送別会
北部送別会に参加しました。
開催地は我が町オウタピです。
全部で8名の北部隊員が集まり、いつものんびりしている我が家は祭りの賑わいです。
ボランティアの人数が減っている現在、きっと最初で最後の大人数インオウタピだと思います。
今回の主役は20年度4次隊のメンバーで、来ナミビア当初から仲良く絡んでいた思い出深いメンバーです。
それぞれが新聞に載ったりイベントで代表を務めたりと充実した活動を送っていて、たまにみんなで集まるときは、いつも参考になるアドバイスをもらっていました。
金曜日には、集まれるメンバーが揃って私の勤務地オウタピ青年センターに遊びに来てくれました。
センターでのんびりした後は家でカレーを作りながらまったりと飲みます。
同僚のピーターが突然遊びに来て、参加しているMr.Oに挨拶を繰り返します。ピーターは彼が大好きです。
どさくさにまぎれてカレーを食べて、ビールを飲んで帰っていきました。明日も来るといっていましたが、普通にブッチ。村に行ったそうです。まあ、慣れました。
初日はそんな感じで本番の翌日に備えます。私はビールアレルギーも無視して酔い酔いです。
そして次の日、朝から料理の仕込を始めます。
今回幹事のオプヲ澤田さん(31)が炊き込みご飯を作ったり、牛タンを切ったりして昼からのブライ(バーベキュー)に備えます。私は横目で眺めながら、半裸でハァハァ言いながらMさん(オンダングワ)とビリーズブートキャンプをしていました。
澤田さん幹事お疲れ様でした。とても楽しい送別会になりました。
エナナから二人目の主役のTさんも合流して、買出しと炭おこしに向かいます。
今回はオウタピ名物(ナミビア文化遺産)バオバブの木の下でブライです。
雨季のこの時期に暑苦しいくらいの快晴に恵まれ、もはや非の打ち所なしです。炭をおこしながら勝手に乾杯して少しずつ酩酊していきます。
気持ちよくなってきたところでオハングウェナから三人目のヒロインのMさんと新人アイドル候補のMさんが揃って登場します。
みんな揃った所で楽しいブライが始まりました。
美味しい肉を食べたり、炊き込みご飯おにぎりを食べたり、バオバブに登ったり、ビールを浴びるほど飲んだり、ストレッチしたり、ギリギリな会話を楽しんだり、笑ったり歌ったり、全員が笑顔の絶えない素敵なブライです。
そこで頑張る事が当たり前で、そこから旅立つための送別の会である事を忘れてしまっていました。
バオバブのパワーを浴びた後も、家に帰り、さらに浴びるほどの酒を飲んで、歌って踊って、笑って泣いて、色んな事を思い出して、色んな事を振り返って、そして色んなこれからに思いを馳せます。
相当楽しくて、相当愉快で、少しだけ変わっている、大切な大切な仲間達です。
大切な仲間達がまた一つ、次のステップへ進みます。
私もまた一つ、次のステップに進むのだと思います。
開催地は我が町オウタピです。
全部で8名の北部隊員が集まり、いつものんびりしている我が家は祭りの賑わいです。
ボランティアの人数が減っている現在、きっと最初で最後の大人数インオウタピだと思います。
今回の主役は20年度4次隊のメンバーで、来ナミビア当初から仲良く絡んでいた思い出深いメンバーです。
それぞれが新聞に載ったりイベントで代表を務めたりと充実した活動を送っていて、たまにみんなで集まるときは、いつも参考になるアドバイスをもらっていました。
金曜日には、集まれるメンバーが揃って私の勤務地オウタピ青年センターに遊びに来てくれました。
センターでのんびりした後は家でカレーを作りながらまったりと飲みます。
同僚のピーターが突然遊びに来て、参加しているMr.Oに挨拶を繰り返します。ピーターは彼が大好きです。
どさくさにまぎれてカレーを食べて、ビールを飲んで帰っていきました。明日も来るといっていましたが、普通にブッチ。村に行ったそうです。まあ、慣れました。
初日はそんな感じで本番の翌日に備えます。私はビールアレルギーも無視して酔い酔いです。
そして次の日、朝から料理の仕込を始めます。
今回幹事のオプヲ澤田さん(31)が炊き込みご飯を作ったり、牛タンを切ったりして昼からのブライ(バーベキュー)に備えます。私は横目で眺めながら、半裸でハァハァ言いながらMさん(オンダングワ)とビリーズブートキャンプをしていました。
澤田さん幹事お疲れ様でした。とても楽しい送別会になりました。
エナナから二人目の主役のTさんも合流して、買出しと炭おこしに向かいます。
今回はオウタピ名物(ナミビア文化遺産)バオバブの木の下でブライです。
雨季のこの時期に暑苦しいくらいの快晴に恵まれ、もはや非の打ち所なしです。炭をおこしながら勝手に乾杯して少しずつ酩酊していきます。
気持ちよくなってきたところでオハングウェナから三人目のヒロインのMさんと新人アイドル候補のMさんが揃って登場します。
みんな揃った所で楽しいブライが始まりました。
美味しい肉を食べたり、炊き込みご飯おにぎりを食べたり、バオバブに登ったり、ビールを浴びるほど飲んだり、ストレッチしたり、ギリギリな会話を楽しんだり、笑ったり歌ったり、全員が笑顔の絶えない素敵なブライです。
そこで頑張る事が当たり前で、そこから旅立つための送別の会である事を忘れてしまっていました。
バオバブのパワーを浴びた後も、家に帰り、さらに浴びるほどの酒を飲んで、歌って踊って、笑って泣いて、色んな事を思い出して、色んな事を振り返って、そして色んなこれからに思いを馳せます。
相当楽しくて、相当愉快で、少しだけ変わっている、大切な大切な仲間達です。
大切な仲間達がまた一つ、次のステップへ進みます。
私もまた一つ、次のステップに進むのだと思います。
m(_ _)m
ラベル:
ナミビア日常,
青年海外協力隊(ナミビア)
2011年2月14日
異文化交流会と英語
ホームパーティに行きました。
私が住んでいるオウタピ周辺には、私が知っているだけで、スイス人4人・アメリカ人3人・フランス人2人・ドイツ人2人・日本人2人、のボランティアがいます(車で30分以内でいける範囲)。
そして新たに3人のアメリカ人のボランティアがやって来ました。
今回のホームパーティは、その新しいアメリカ人ボランティアの歓迎会のような感じです。
普段は欧米人は欧米人で集まる事が多いのですが、何かの節目になるとスイス人のベンジャミンやファビオがパーティに誘ってくれます。
今回の参加者は、スイス人1人・アメリカ人5人・日本人2人です。
メンバーのほとんどがアメリカ人で、女性。しかもその中に、どんなに我々が聞き取れなくても容赦なく会話を進める、強敵「エミリ」がいます。
スイス人のファビオが、「英語のスピードがたまに恐ろしく速くなるから気をつけろ、俺でもよく分からん。」とアドバイスしてくれます。
スイスは公用語にドイツ語・フランス語・イタリア語・ロマンシュ語を話し、尚且つ英語は当然という言語についてはすごい国です。そしてファビオは、英語の先生です。
しかしアメリカ人の中に、味方も発見しました。
パティは以前オウタピの食堂で食事をした事もある、日系のアメリカ人です。
そんな中で、楽しいパーティは始まりました。
現地語や日本語についての話や年末に旅行した話など、少しだけ上達した英語でなんとか乗り切ります。
エミリが話を振ってくれた事と、それに対応できた事に相当驚きながら、やはり1年もオウタピで一緒にいると情も湧いてくるのかなとしんみりなります。
しかし、やはり突然やってきました。
内容がボランティア活動の悩みなどになり、お酒も入り、少しずつ感情的になっていきます。
アメリカ人同士の会話が徐々にヒートアップ、そしてそのスピードに我ら日本人は、ギブアップ。
びっくりするくらい会話が聞き取れません。
何となく内容は分かるのですが、単語が明らかにキャンセルされていたり、消え行く語尾に目が点になります。
アッパー昇竜拳でコマンドがキャンセルされている時のような、あの感じです。防御不能です。
そこそこに酔っ払って、みんなの邪魔をしないように帰路につきます。
ルームメイトのカオル君と二人で、「アメリカ人の英語半端ないね。」とパーティの感想を口にします。
しかし二人とも感じたのが、エミリが優しくなってる、ということでした。
何だかんだナミビア・オウタピの地で試行錯誤しながら活動を続けてきている事が良い仲間意識を作り出してきているようです。彼女も英語の稚拙な我々を少しは認めてくれたのでしょう。
心で繋がる事のできる活動をやっていきたいと思います。
m(_ _)m
私が住んでいるオウタピ周辺には、私が知っているだけで、スイス人4人・アメリカ人3人・フランス人2人・ドイツ人2人・日本人2人、のボランティアがいます(車で30分以内でいける範囲)。
そして新たに3人のアメリカ人のボランティアがやって来ました。
今回のホームパーティは、その新しいアメリカ人ボランティアの歓迎会のような感じです。
普段は欧米人は欧米人で集まる事が多いのですが、何かの節目になるとスイス人のベンジャミンやファビオがパーティに誘ってくれます。
今回の参加者は、スイス人1人・アメリカ人5人・日本人2人です。
メンバーのほとんどがアメリカ人で、女性。しかもその中に、どんなに我々が聞き取れなくても容赦なく会話を進める、強敵「エミリ」がいます。
スイス人のファビオが、「英語のスピードがたまに恐ろしく速くなるから気をつけろ、俺でもよく分からん。」とアドバイスしてくれます。
スイスは公用語にドイツ語・フランス語・イタリア語・ロマンシュ語を話し、尚且つ英語は当然という言語についてはすごい国です。そしてファビオは、英語の先生です。
しかしアメリカ人の中に、味方も発見しました。
パティは以前オウタピの食堂で食事をした事もある、日系のアメリカ人です。
そんな中で、楽しいパーティは始まりました。
現地語や日本語についての話や年末に旅行した話など、少しだけ上達した英語でなんとか乗り切ります。
エミリが話を振ってくれた事と、それに対応できた事に相当驚きながら、やはり1年もオウタピで一緒にいると情も湧いてくるのかなとしんみりなります。
しかし、やはり突然やってきました。
内容がボランティア活動の悩みなどになり、お酒も入り、少しずつ感情的になっていきます。
アメリカ人同士の会話が徐々にヒートアップ、そしてそのスピードに我ら日本人は、ギブアップ。
びっくりするくらい会話が聞き取れません。
何となく内容は分かるのですが、単語が明らかにキャンセルされていたり、消え行く語尾に目が点になります。
アッパー昇竜拳でコマンドがキャンセルされている時のような、あの感じです。防御不能です。
そこそこに酔っ払って、みんなの邪魔をしないように帰路につきます。
ルームメイトのカオル君と二人で、「アメリカ人の英語半端ないね。」とパーティの感想を口にします。
しかし二人とも感じたのが、エミリが優しくなってる、ということでした。
何だかんだナミビア・オウタピの地で試行錯誤しながら活動を続けてきている事が良い仲間意識を作り出してきているようです。彼女も英語の稚拙な我々を少しは認めてくれたのでしょう。
アメリカでもスイスでも、スペインでも中国でも、そしてナミビアでも日本でも、たとえ言葉は違っていても、心は一つだと思います。
心で繋がる事のできる活動をやっていきたいと思います。
m(_ _)m
2011年2月11日
ビールアレルギー
今、愕然としています。
思い返せば去年の5月以降くらいからだと思うのですが、ビールを飲むと次の日具合が悪くなる事が増えています。
すごく体調のいい時は何ともないのですが、疲れている時やストレスを感じている時などにビールを飲むと、「嘔吐、眩暈・貧血、花粉症のような症状、ひどい倦怠感」という症状が出ます。
酒量も考えると、二日酔いとはちょっと違う感じです。
昨日少し疲れているくらいの状態で、ビールを飲み始めたら、いつものようにくしゃみが止まらなくなりました。
そこで初めて、「いつものように???」という事に気が付きました。
そして今日、恐ろしいほどの倦怠感と眩暈です。飲酒量、たった1本。。
私はアレルギーが結構出やすい体質で、花粉症、軽いアトピーの症状も出ます。
花粉症は高校生の時、そしてアトピーは24歳の時。環境や生活に変化があった時に体質が変わる傾向にあるようです。
そして今回は、まさかの「ビールアレルギー疑惑」です。
ビール酵母アレルギーまたは麦や他の成分に対してのアレルギー、そして最悪、アルコールアレルギーというのがあります。
アルコールアレルギーに関しては、今まで相当飲んでるし、調べた症状も違うようなので(全身に赤い発疹が出て、かゆいというのが一番多いみたいです)これではなさそうです、というか信じたい。
ビール酵母アレルギー・麦やホップなどのアレルギーが症状が同じなので可能性があるのですが、発泡酒は飲みすぎ以外でこの症状を体感した記憶がないので、「ビールに含まれていて発泡酒に含まれていない成分に対してアレルギー反応を起こしている」というのが一番可能性が高い気がします、というか、信じたい。
ナミビアに来る前からビール(発泡酒)が大好きで、一日に500mlの発泡酒を3本ほど飲んでいました。
ビールをたくさん飲む時(結婚式とか居酒屋とか)に、似たような症状が出た記憶は何となくあります。しかし現在のようにひどくありません。
ナミビアに来た直後も、大瓶4本をほぼ毎日飲んでいたのですが、今のような症状はありませんでした。
ナミビアに来て3ヶ月ほど経った頃から、心当たりが出始めます。
明らかに生卵やあたりそうな物を食べていなくて、嘔吐した事が2~3回あります。
お酒に対しても急に弱くなったと思います。
ナミビア国内旅行中に、ビールを一缶飲んで、眩暈と吐き気を同時に感じる(あの時は死ぬかと思った)というのも経験しました。
他にも思い当たる節があり、原因は、ビール。。。
しばらくお酒を我慢して、その後自分の体で一つずつ検証してみます。
そして日本で改めてアレルギーテストを受けようと思います。
玉子に続き、ビールまでも。
ナミビアの大地で、私の中の何かが確実に変化しています。
思い返せば去年の5月以降くらいからだと思うのですが、ビールを飲むと次の日具合が悪くなる事が増えています。
すごく体調のいい時は何ともないのですが、疲れている時やストレスを感じている時などにビールを飲むと、「嘔吐、眩暈・貧血、花粉症のような症状、ひどい倦怠感」という症状が出ます。
酒量も考えると、二日酔いとはちょっと違う感じです。
昨日少し疲れているくらいの状態で、ビールを飲み始めたら、いつものようにくしゃみが止まらなくなりました。
そこで初めて、「いつものように???」という事に気が付きました。
そして今日、恐ろしいほどの倦怠感と眩暈です。飲酒量、たった1本。。
私はアレルギーが結構出やすい体質で、花粉症、軽いアトピーの症状も出ます。
花粉症は高校生の時、そしてアトピーは24歳の時。環境や生活に変化があった時に体質が変わる傾向にあるようです。
そして今回は、まさかの「ビールアレルギー疑惑」です。
ビール酵母アレルギーまたは麦や他の成分に対してのアレルギー、そして最悪、アルコールアレルギーというのがあります。
アルコールアレルギーに関しては、今まで相当飲んでるし、調べた症状も違うようなので(全身に赤い発疹が出て、かゆいというのが一番多いみたいです)これではなさそうです、というか信じたい。
ビール酵母アレルギー・麦やホップなどのアレルギーが症状が同じなので可能性があるのですが、発泡酒は飲みすぎ以外でこの症状を体感した記憶がないので、「ビールに含まれていて発泡酒に含まれていない成分に対してアレルギー反応を起こしている」というのが一番可能性が高い気がします、というか、信じたい。
ナミビアに来る前からビール(発泡酒)が大好きで、一日に500mlの発泡酒を3本ほど飲んでいました。
ビールをたくさん飲む時(結婚式とか居酒屋とか)に、似たような症状が出た記憶は何となくあります。しかし現在のようにひどくありません。
ナミビアに来た直後も、大瓶4本をほぼ毎日飲んでいたのですが、今のような症状はありませんでした。
ナミビアに来て3ヶ月ほど経った頃から、心当たりが出始めます。
明らかに生卵やあたりそうな物を食べていなくて、嘔吐した事が2~3回あります。
お酒に対しても急に弱くなったと思います。
ナミビア国内旅行中に、ビールを一缶飲んで、眩暈と吐き気を同時に感じる(あの時は死ぬかと思った)というのも経験しました。
他にも思い当たる節があり、原因は、ビール。。。
しばらくお酒を我慢して、その後自分の体で一つずつ検証してみます。
そして日本で改めてアレルギーテストを受けようと思います。
玉子に続き、ビールまでも。
ナミビアの大地で、私の中の何かが確実に変化しています。
2011年2月8日
ブログランキング
ブログランキングに参加しました。
ブログランキングとは、ランキングのウェブサイトに登録して、自分のブログ上にリンクやバナー(クリックしたらそのページに行くやつ)を置いて、そのクリック数とかでブログの人気や順位を計るものです。
私は特に広告とかアフェリエイトをやっているわけでもないので、ちょっとした遊びのような感じです。
色々試していると楽しくなってきて、アンケートとか作ったり紹介文を作成したりしていたのですが、その中での設定の一つでping送信なるものが出てきました。
自分が新しく日記を更新したら、その情報をランキングのサイトに伝えてくれる機能のようなのですが、グーグルのブログ「blogger」にはその機能が付いていません。
また微妙な使い勝手のbloggerらしさの発見です。
何とかping送信を代理でやってくれるサイトを発見し、試行錯誤しながら設定してみます。
自分のブログをその代理サイトに登録して、そのサイトが巡回した時に私のブログに更新があれば、ping配信をする。ping送信先も、設定。
うーん、これでいいのだろうか。。。ちなみに「PINGOO!」っていうサイトです。
そんな感じでブログのランキングに参加してみましたので、しばらくランキングに一喜一憂したりして楽しもうと思います。気が向いたら、ブログランキングのバナーをクリックしてみて下さいね。
1位 : ダグラスの筋肉日記
なんかウキウキします。
m(_ _)m
ブログランキングとは、ランキングのウェブサイトに登録して、自分のブログ上にリンクやバナー(クリックしたらそのページに行くやつ)を置いて、そのクリック数とかでブログの人気や順位を計るものです。
私は特に広告とかアフェリエイトをやっているわけでもないので、ちょっとした遊びのような感じです。
色々試していると楽しくなってきて、アンケートとか作ったり紹介文を作成したりしていたのですが、その中での設定の一つでping送信なるものが出てきました。
自分が新しく日記を更新したら、その情報をランキングのサイトに伝えてくれる機能のようなのですが、グーグルのブログ「blogger」にはその機能が付いていません。
また微妙な使い勝手のbloggerらしさの発見です。
何とかping送信を代理でやってくれるサイトを発見し、試行錯誤しながら設定してみます。
自分のブログをその代理サイトに登録して、そのサイトが巡回した時に私のブログに更新があれば、ping配信をする。ping送信先も、設定。
うーん、これでいいのだろうか。。。ちなみに「PINGOO!」っていうサイトです。
そんな感じでブログのランキングに参加してみましたので、しばらくランキングに一喜一憂したりして楽しもうと思います。気が向いたら、ブログランキングのバナーをクリックしてみて下さいね。
1位 : ダグラスの筋肉日記
なんかウキウキします。
m(_ _)m
2011年2月5日
1年を終えて
赴任してちょうど1年が経ちました。
私が赴任しているのは、ナミビアという国のオウタピという北部の町です。
派遣職種はPCインストラクターで、赴任先は青少年センター。
要請内容は、パソコンスキルのスタッフへの指導、生徒への指導、センター内パソコンの管理で、メインはスタッフ指導ということになっています。青少年センターとは、セカンダリスクール(中・高校みたいなもの)を卒業、もしくは中退した職のない青少年、他一般市民を対象に、
・コンピュータ・裁縫・農業等の職業訓練を行う
・HIV啓蒙活動・演劇活動などを通じて青少年の健全な育成を図る
・町民との交流の場を提供する
・各省庁・学校などのワークショップ等の場所を提供する
というような事をやっています。
1年間を振り返って、失敗ばかりの1年だなとつくづく反省します。
最初はとにかく英語・現地語でのコミュニケーションに戸惑い、ずいぶんとぶつかりました。
パソコンクラスの一般市民への解放、外部パソコンの修理・出張修理の提案の却下は、今思えば英語での直接的過ぎる意思表示とコミュニケーション不足が原因だったような気がします。
英語でのやりとりの後に現地語で突然何かを言われたり(明らかに悪口)、現地語を強要されるのに嫌気が差し、
「俺の目の前で二度と現地語を使うな」
とブチ切れた事もありました。
次に、ナミビア人の文化や気質に戸惑いました。
スタッフへの授業を開始し、ハードウェアやソフトウェアの基礎知識・ウイルスについてなどを教えました。
最初の授業には全員参加し、真面目に取り組んでくれたのですが、その後1人2人と減っていき、最後には0。
「授業を早くやってくれ!」「毎日やりたい!」「今日はないのか?」
実際にスケジュール組んで(もちろん事前に告知して)待っていても、来ない。呼びにいくとフェイスブックとかしています。
「今はそんな気分じゃない」「忘れていた」
「この後人が来る(嘘)」「忙しい(嘘)」・・・・
人が揃わなくて進めることに限界を感じ、終了しました。
ナミビア人は、調子がよく、怠惰で、約束を守りません。
得たことは、人間関係・コミュニケーション能力。
生徒にしろスタッフにしろ、良い人間関係だけは築く事が出来ました。
こちらが歩み寄るだけではなく、ナミビア人に歩み寄ってもらう事。
かなり厳しい事も言うのですが、それを相手が受け止めてくれるほど理解してもらえるようになりました。
私にとってこれらは最高の収穫だと思っています。
そして現在行っている事は、スタッフへの個別指導です。
スタッフ全員にアンケートを配り、詳細にニーズを把握。
どのくらいの頻度で、どの時間帯にやりたいのか、何をやってどのくらいのレベルになりたいのか。
現在のレベルと達成のレベルを比べて、かかりそうな時間を見積もって、スケジュールを立て直しました。
案の定スタッフ全員が意気揚々とアンケートを提出してきたのですが、今回は厳しく逆の事を言います。
「希望者だから、やりたくなかったら来るな」
「自分の職務・やりたい事を優先しろ」
自分の作ったアンケート通りの時間割に来ないスタッフが、
「なぜ呼ばないんだ」
「今日は忙しいから来なかった」
「来たい時に来ればいい。私はいつでも歓迎する」
1月から始めた指導ですが、今のところ順調です。
進度がバラバラで準備は大変なのですが、一人ひとりに焦点を当てて進めることが出来るので、集まらないと進められなかった前回の授業の時より精神的にとても楽です。
毎月スケジュールを組みなおして個人の進捗に合わせていこうと思っています。回りだすと慣れてきて、結構楽しいです。
もうすぐナミビア人PCインストラクターのマリアが研修から帰ってきて、生徒への授業も再開されます。
生徒への授業、マリアへの指導、そしてスタッフへの個別指導。
結構大変になりますが、楽しみでもあります。
もちろん、若者達とのふれあいも忘れません。遊びも忘れません。
ミスターケイ、ありがとう。
ラベル:
青年海外協力隊(ナミビア)
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